万が一の時にそなえて!医療訴訟の基礎知識 VOL 12 元裁判官が解説します  PDF

元大阪高等裁判所
部総括判事・弁護士
大島 眞一

医薬品添付文書に反する医療行為
過失の判定基準とは

1 はじめに
 医薬品は、これに添付する文書などに、用法、用量その他使用および取扱い上の必要な注意などを記載しなければならない(医薬品医療機器等法52条)とされています。この規定に基づいて記載されたものを一般に添付文書(能書)と呼んでいます。添付文書に従わなかったことにつき過失があったかが争われたものとして、最高裁判所平成8年1月23日判決(民集50巻1号1頁)があります。
2 最高裁平成8年1月23日判決
(1) 事案の概要
 虫垂炎に罹患したX(当時7歳5カ月)が昭和49年にY病院で虫垂切除手術を受けました。手術中に心停止に陥り、蘇生はしたものの重大な脳機能低下症の後遺症が残りました。
 Xに対し使用された麻酔剤(0.3%のペルカミンS)の副作用として、注入後に血圧低下があることは、かなり古くから知られていました。昭和30年代にはこれによる医療事故も多発したため、腰椎麻酔中は「頻回」に血圧の測定をする必要があること自体は臨床医の間に広く認識されていましたが、「頻回」とはどの位の間隔をいうのかに一致した認識があったとはいえませんでした。
 そこで、昭和47年から、ペルカミンSの添付文書に、麻酔剤注入後10分ないし15分までの間、2分間隔で血圧の測定をすることが注意事項として記載されるようになりました。もっとも本件で問題となった昭和49年当時の医療現場では、必ずしも2分間隔での血圧測定は行われておらず、5分間隔で測定すればよいと考える医師もかなりいたようで、本件でも医師は5分間隔で測定するよう指示していました。
 XがY病院および担当医師らに対し損害賠償を求め、医師の指示の当否が争われました。
(2) 判決
 最高裁は次の通り述べて、患者の請求を棄却した名古屋高裁判決を破棄し、差し戻しました。
 「医師が医薬品を使用するにあたって添付文書に記載された使用上の注意義務に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される。……仮に当時の一般開業医が添付文書に記載された注意事項を守らず、血圧の測定は5分間隔で行うのを常識とし、そのように実践していたとしても、それは平均的医師が現に行っていた当時の医療慣行であるというに過ぎず、これに従った医療行為を行ったというだけでは、医療機関に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたものということはできない」
3 本判決の解説
 医療用医薬品の投与を受ける患者の安全を確保するため、これを使用する医師などに必要な情報を提供する目的で、最も高度な情報を有している製造業者または輸入販売業者は、医薬品の効能や危険性を明記することが義務付けられています。医薬品を使用する医師としては、添付文書に記載された注意事項に従って医薬品を使用すべき注意義務があるといえます。
 他方、一般に医療慣行は本来合理的な根拠を有するが故に多くの医師の支持を得て慣行となるものでしょうが、中には医学の進歩に伴う新しい知見の下で合理性を失うものもあれば、主に医療側の事情(例えば医療スタッフの不足や経費の節減など)を考慮して慣行となったものもあり得ると思われます。本判決はこれらのことを考慮して医療慣行が直ちに注意義務の基準とはならないことを示したと考えられます。
4 本判決への批判
 もっとも本判決については、医師から根強い批判があります。その批判を簡単に述べると、「添付文書は、製造業者または輸入販売業者が責任を問われないようにするために、わずかでも危険性があれば使用上の注意事項に記載しており、それに従っていると、重症患者や緊急を要する患者などに処方する薬がなくなってしまう」「併用禁止や併用注意という記載がされていても、いろいろな病気を併せ持っている患者には併用せざるを得ないことがある」「患者の病態や体質などに応じて、医薬品の効用と副作用を踏まえて処方するのは医師であり、添付文書が医師の判断に優先するのは不当である」などというものです。
 臨床の現場においては、特に緊急性を要する場合には、ある程度の危険を覚悟で添付文書に反して即効性のある処方をすることもあるようです。本判決の事案は血圧測定を2分間隔ですべきであったのに、5分間隔でしていたというもので、容易に使用上の注意義務に従うことができ、それで不都合がなかったと考えられる事案で、緊急性を要する場合の用法外の使用などとは性質が異なります。
5 過失の判断基準
 本判決は医薬品の添付文書について一般論を展開していますが、添付文書の内容もさまざまであり、事案によって異なると解すべきです。添付文書に従わず、悪い結果が生じて裁判になっても、必ず敗訴するとは限りません。
 添付文書の「警告」や「禁忌」の場合、あるいは今回紹介した事例のように内容が明確な場合(注射速度などの数値で規定されているもの)には、それに違反すると過失があったと推定できます。しかし、例えば添付文書の記載事項の一つである「特定の背景を有する患者に関する注意」(投与に際して他の患者と比べて特に注意が必要な場合などの記載。平成29年6月8日厚生労働省医薬・生活衛生局長通知参照)に反して投与した場合には、具体的な投与の状況や患者の状態を検討しないことには当該投与につき過失があったか否かは判断できません。
 また、投与を受ける患者の個体差、病態の内容・程度は千差万別ですから、添付文書に記載された使用上の注意とは異なった取扱いをすることに合理的理由が存する場合もあり、あるいは患者の生命を守るためにあえて危険を冒して治療行為をすることが是認される場合もあります。
 したがって、裁判において過失の有無を判断する際には、医師が添付文書に反する医療行為をした理由を十分に検討する必要があるといえます。その判断要素としては、 当該疾患の重大性や他に有効な治療法がないなどといった「治療の必要性」に関する事情 当該医薬品の使用に伴う「副作用の内容、程度、頻度」を総合的に考慮して判断することになると考えられます。
6 まとめ
 医師は添付文書に記載された注意義務を必ず順守しなければならないものではありませんが、それに反する措置をとった場合には、その合理的な理由を明らかにする必要があるといえます。医療機関の主張する理由が当時の医療水準に照らして合理性を有していれば過失は認められませんし、医療機関において合理的な説明ができないのであれば過失が認められることになると考えられます。

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