万が一の時にそなえて!医療訴訟の基礎知識 vol.8 元裁判官が解説します  PDF

元大阪高等裁判所
部総括判事
大島 眞一

「転送義務」のおさえておきたい開業医の役割

1 開業医の役割

 開業医の役割は、一般的にいえば、風邪などの比較的軽度の病気の治療に当たるとともに、患者に重大な病気の可能性がある場合には高度な医療を施すことのできる医療機関に転送させることと考えられます。つまり、開業医は治療としては比較的軽度の病気の治療をすることで足りますが、患者に重大な病気の可能性がないかを絶えず検討することが求められており、症状などからして、転送させるべき症候を見落としていた場合には注意義務違反が問われることもあります。
 どの程度の注意義務が要求されるかは、開業医としての医療水準(開業医として一般的に要求される水準)が基準となります。
 大学病院や基幹病院のような高度な注意義務を負うものではありませんが、例えば、開業医が長期間にわたり毎日のように通院して来ているのに病状が回復せず、かえって悪化さえ見られるような患者について、転送させるべき疑いのある症候を見落としていた場合には転送義務違反となります。
 転送義務の具体的内容は一刻を争う緊急性があるか、付近にどのような医療機関があるかなどの諸事情によるところがあり、個々の事案により異なると考えられます。
 開業医の責任が問題となる事例の多くは転送するのが遅かったという点です。この点について判断したものとして、最高裁判所平成9年2月25日判決(民集51巻2号502頁)があります。

2 最高裁平成9年2月25日判決

(1)事案
 患者Aが風邪で昭和51年3月17日から4月14日まで約4週間毎日のように開業医にかかり、顆粒球減少症の副作用を有する多種類の風邪薬を投与された結果、顆粒球減少症にかかって4月23日に死亡しました。
 その後、Aの相続人が転送義務違反などを主張して開業医などに対し損害賠償を求めました。

(2)判断
 最高裁判所は次の通り述べ、開業医の責任を否定した広島高裁判決を破棄し、広島高裁に差し戻しました。
 「開業医の役割は、風邪などの比較的軽度の病気の治療に当たるとともに、患者に重大な病気の可能性がある場合には高度な医療を施すことのできる診療機関に転医させることにあるのであって、開業医が、長期間にわたり毎日のように通院してきているのに病状が回復せずかえって悪化さえみられるような患者について、右診療機関に転医させるべき疑いのある症候を見落とすということは、その職務上の使命の遂行に著しく欠けるところがあるものというべきである。…開業医が、副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与された患者について、薬剤の可能性のある発疹を認めた場合においては、…他の診療機関において患者が必要な検査、治療を速やかに受けることができるように相応の配慮をすべき義務がある」

(3)説明
 本件では、個々の薬剤の投与量は顆粒球減少症を発症するには足りないものの、薬剤の合計は相当量に達していました。高裁は個々の薬剤を検討して問題ないとしましたが、最高裁は全体的に考察し、顆粒球減少症の副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与している以上、その発症に注意すべきと述べました。

3 いかなる疾患か診断できない場合

 開業医は、患者について自ら診療することができない特定の重大な疾患の疑いがあると判断した場合には、その診療をすることができる、より高度の医療機関に転送する義務があることはもちろんですが、特定の重大な疾患の疑いがあるとまでは判断できない場合であっても、自ら検査や診療をすることができない何らかの重大な疾患の可能性があることを認識できた場合には、その検査や診療をすることができる高度の医療機関に転送すべき義務があります。
 この点について判断したものとして、最高裁判所平成15年11月11日判決(民集57巻10号1466頁)があり、医師の責任を否定した大阪高裁判決を破棄し、大阪高裁に事件を差し戻しました。

4 最高裁平成15年11月11日判決

(1)事案
 小学6年の患者Xが、内科・小児科を診療科目とする開業医Yの診療を受けていました。Xは初診から5日目になっても、投薬による症状の回復はなく、午前中の点滴をした後も前日の夜からの嘔吐の症状が全く治まらず、午後の再度の点滴中に軽度の意識障害などを疑わせる言動がありました。これに不安を覚えた母親が診察を求めましたが、Yは外来患者の診察中であったため、すぐには診察に応じませんでした。その後、YはXを診察した後、今後症状の改善が見られなければ入院の必要があると判断し、紹介状を持たせて帰宅させました。翌朝、Xの状態はさらに悪化し、Y医院を受診し、直ちに総合病院に緊急入院しましたが、急性脳症による運動機能障害により、身体障害者等級1級と認定されました。

(2)判断
 「Yとしては、本件診察中、点滴を開始したものの、Xの嘔吐の症状が治まらず、Xに軽度の意識障害等を疑わせる言動があり、これに不安を覚えた母親から診察を求められた時点で、直ちにXを診断した上で、Xの上記一連の症状からうかがわれる急性脳症等を含む重大で緊急性のある病気に対しても適切に対処し得る、高度な医療機器による精密検査および入院加療等が可能な医療機関へXを転送し、適切な治療を受けさせるべき義務があったものというべきであり、Yには、これを怠った過失がある」

(3)説明
 本判決は、開業医において特定の病気を疑うことができない場合であっても、患者が何らかの重大で緊急性のある病気にかかっている可能性が高いと認識できた場合には、患者を高度の医療機関へ転送する義務があることを示しています。

5 まとめ

 開業医の責任を認める裁判例の多くは、転送義務の遅れです。
 転送義務は患者が最初に診療を求めた医療機関を通じて、最終的に高度の医療機関においてその医療水準に応じた医療行為を受けることを法的に保障するものであり、その機能は非常に重要なものであるといえます。
 現実には、病院や専門医が少ない地域などでは転送先を探すのに苦労することもあると思いますが、転送の必要が生じた際にスムーズに紹介できるように、医療機関の連携が不可欠であるといえます。
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 ※大島眞一氏は、9月をもって大阪高等裁判所部総括判事を定年退官されました。

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