近未来のこと、我らが種ホモ・サピエンスも滅亡して、生き残った4台の人間型ロボット「ロボロイド」。赤ロボットのマイム、黄ロボットのブレイクダンス、青ロボットのマジック、緑ロボットのジャグリングが、毎日夜明け前、無言の内に起き上がり、半端壊れた玩具工場に集まって来る。舞台は2階建てで、赤のマイムがパントマイムで2階のドアに押し入り、肘、手、膝、足とぎこちないロボットの動きに見せつつ、実はスムーズな関節の動きで、大変に美しい。2階の電源スイッチが押され梃子が引かれて、生産ラインが始動する。薄暗い闇かと見紛う舞台の中に、レーザー光線により舞台装置・工場の構造が浮かび上がる。闇に沈む暗黒の宇宙空間から光に輝く楽園世界が現れるかのようで、その対比が鮮やかである。
次に黄のブレイクダンスが梯子段を降りれば、1階中央に歯車型の「ギア」があり、激しい動きのダンスで静と動との対比を見せる。セリフは一切なくボディーランゲージで、青のマジックは、その名の通り得意げにマジックショーを展開して、緑のジャグリングはジャグリングの芸で舞い踊り、観客の目を楽しませ、物語を伝えてくれる。
主人公は純白のドレスを身に纏う人形のドールで、生産ラインから箱入りで舞台に舞い落ちて来る。取り出されると、瞬く間にかわいい女形のロボットに変身してロボロイドを演じてくれる。労働ロボットたちはロボロイドを分析・認識し、触れ合い、まさか、性的身体的接触にまで至れるラブドールではなかろうが、遂にはどんなハッピーエンドへの大団円を呈するかと期待させる交流である。
しかし、ドールはその内心にすでに人間理解用のプログラムが導入されており、過度の人間理解対応とヒューマノイド的接近とを求め、アンドロイドならぬ労働ロボットは変調を来し、玩具工場の人工頭脳との調整も狂いだし、空調装置から、ドールを印刷した紙製品が大量に生産・排出され舞台は紙だらけで、あっと驚く観客たちとなる。ついにどのロボットも交流を拒否し、絶望の内にドールは元の不動の人形に戻り、箱に詰められ、沈黙の内に舞台が閉じる。
粗筋を読み進んでも、観劇に行く気分までは湧きますまい? この無言劇の上演はかなり以前からあり、一度鑑賞しなければとは考えていたが、当院の看護師さんが観て、再鑑賞割引券を持ち帰って勧めてくれ、2022年11月11日に1人で初めて観た。とても良かったので、8日程して妻も誘って(写真)2回目を見た。翌年1月には、また1人で行った。
舞台は、結局『ロボットとは何か?…』との思わしくも考え深いテーマで、性差まで強調されれば、クレイグ・ガレスピー監督映画「ラースと、その彼女」ビアンカのように恋人や夫婦にまでなり得るのか。性行為が難しい障害者などのために性行為まで可能とするオリエント工業社製の精巧な製品もある。人との精神的・心理的な交流を重視・想定するならば『…人の心を映す鏡』(石黒浩著、講談社現代新書)でもある。ぜひご観劇下さい。
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