死んでたまるか 13 3年が経過して 垣田 さち子(西陣)  PDF

エロ・グロ・ナンセンス

 無条件降伏の後、アメリカによる日本統治の合い言葉は標記の如くだった。
 「エロ」については、丸谷才一が優れた評論「恋と女の日本文学」で喝破したように、日本のエロチック度はアメリカ人にとっては驚きではなかったか。ピューリタンの国の人には理解できなかっただろう。
 幕末の頃、欧米人の探検家が日本の田舎を旅した旅行記が面白い。“混浴”が常態化していることにびっくりしている。
 天皇が勅撰和歌集を編み相聞歌を入れるなど、恋愛至上主義みたいなところがあって苦手である。昭和の流行歌も然り。不倫、日陰の女、夜の女などまともでないカップルが主役なのが多い。それと“死”の扱いが軽く、小学生が何百人も自殺する現代の実態と無関係ではないだろう。
 「グロ」はよく分からない。私が最もグロテスクと思うのはチャンバラである。切腹が最悪だと思う。日本刀で切ってどうなるのか。主には出血多量が死因だろうが、袈裟懸けで頸動脈を切らない限り即死は難しい。グロテスクの最たるものは戦争である。ウクライナで今も進行中の現実をテレビで普通に見ている。
 「ナンセンス」は戦後73年の今しっかり定着した。もう10年以上前になるが、京都の老舗旅館の娘さんでアメリカ人と結婚された友人が20年ぶりに帰って来られたのだが、「日本のテレビはひどいよ。おふざけ番組ばっかりで、見るものがない」と憤慨されていた。今やテレビを見ていられる立場になった私も同じ思いである。バラエティ番組ばっかりで、見るものがない。ジャニーズか吉本か。画面にのさばるのはお笑いタレントばっかりである。あなたの知ったような御意見なんぞ聞きたくもない。その道をこつこつと極めてきた専門家がどの分野にもいるはずである。日本社会はそういう地味な実力者に支えられてきたのだ。
 医療も同じ。見ていて不安になることもある。構想がつかめない。リアリティが感じられない。思いつきのくり返しでは時間の無駄。医学は科学である以上真実に謙虚になることが大切である。共有し確認をくり返し前進しよう。

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