万が一の時にそなえて!医療訴訟の基礎知識 vol 5 現役裁判官が解説します  PDF

大阪高等裁判所
部総括判事
大島 眞一

応招義務

1 はじめに

 新型コロナウイルス感染症が5月8日に5類感染症に移行したことに伴い、政府により医療提供体制の方針が取りまとめられました。その中で、医師の応招義務について「新型コロナウイルスに罹患またはその疑いのみを理由とした診療の拒否は、医師法19条の『正当な理由』に該当しない」旨を明記し、新型コロナウイルスの外来に対応する方針が採られています。
 そこで、今回は医師法19条について考えてみます。

2 医師法19条1項

 医師法19条1項は、「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定めています。
 この応招義務は、医師が国に対して負う公法上の義務であり、患者に対して負う私法上の義務ではないと解されています。そして近年、医療機関の分化や救急医療における地域医療機関の連携が重視されており、患者の重症度や地域医療の体制などと無関係にあらゆる医療機関に患者全てを引き受けさせることは医療政策的に疑問が大きいとして、応招義務規定は歴史的役割を終えたとする見解もあります。
 しかし、現実に医師法19条1項が存在し、医療機関が正当な事由がないにもかかわらず診療を拒んだために、患者が死亡するなどした場合には、その医療機関の行為は民事上違法ということができ、患者や遺族は医師や医療機関に対し損害賠償を請求できる場合があると考えられています。
 現実に問題となるのは、救急患者の場合であり、その受入要請を拒んだことが違法となるかが争われます。この点に関する最高裁判決はなく、公刊物に掲載されている下級審判決も3例しかありません。
 そのうちの一つである千葉地方裁判所昭和61年7月25日判決(判例タイムズ634号196頁)を見てみます。

3 事案の概要

 患者(1歳)が、昭和54年11月22日朝9時頃、感冒気味だったので、近くのY1(個人)が開設する医院で診察を受けました。Y1は気管支炎ないし肺炎(重症)との判断で、入院施設(300床)を有するY2病院で治療を受けるのが良いとして、患者の母に紹介状を持たせ、救急車の搬送を依頼し、午前9時45分に到着した救急車で患者と母をY2病院に向かわせました。それと並行して、看護師を通じてY2病院に救急患者の電話連絡をしましたが、Y2病院の医師から満床により入院できないとの連絡があったのは、すでに救急車がY1医院を出た後でした。
 午前10時3分に患者を乗せた救急車がY2病院に到着しましたが、入院を拒否されました。消防署指令室からも入院要請をしましたが、やはり入院を拒否されたため、指令室は1、2時間の搬送に耐えられるかの診断を求めました。午前11時5分、Y2病院の医師が救急車内で2分間患者を診察し、喘息が激しいが肺炎ではないので搬送に耐えられる旨述べたことから、救急車は、別の病院に向かいました。
 午後0時14分、別の病院に到達しましたが、すでに全身状態は悪化しており、午後3時、気管支肺炎により死亡しました。
 患者の両親が、Y1については転送先に患者の症状などを十分に説明し、受入れが間違いなくされるかを確認すべきであったのにこれを怠ったこと、Y2病院に対しては救急告示病院であるからベッド満床を理由として診療を拒否すべきではなかったことを主張し、損害賠償を求めました。

4 裁判所の判断

 Y2病院に対しては、患者は気管支肺炎であった(Y2病院の医師の診断は誤っていた)のに、Y2病院に救急車が到着後も転送を求め、医師の診察後もなお転送を求めたことについて、搬送が診療時間内であったこと、Y2病院には小児科医が3人在院していたこと、ベッド(300床)が満床であってもとりあえず救急室などで応急処置を行い、ベッドが空くのを待つことも可能であったこと、小児科医がおり入院設備のある病院が近くになかったことなどを挙げて、診療拒否は正当な理由がなく違法であるとして、損害賠償金約2800万円を認めています。
 Y1に対しては、患者をY2病院の承諾を得る前にY2病院に送り出したことは軽率であったとはいえるが、患者を診察した結果、重症であると考え、入院設備があり小児科の専門医がいる病院は近くにはY2病院しかなかったため、早期に転送手続をとったことについて過失はないとして、責任を否定しています。

5 説明

 診療を拒んだことが違法といえるかは、①医療機関側の事情②患者側の事情③地域の救急医療体制を踏まえて、肯定的事情と否定的事情を総合して判断されているといえます。
 すなわち、医療機関側の事情として、医師が患者対応中であること、専門医がいないこと、ベッドが満床であることなどは、受入れを拒む正当な事由がある事情といえます。患者側の事情として緊急の処置を要する患者であること、地域の救急医療体制として周辺に代替施設がないことは、受入れを拒む正当な事由の否定的事情となります。これらの諸事情を総合して、当該医療機関が受入れを拒んだことについて違法といえるかを判断することになります。
 本件では、ベッドが満床であったことは受入れを拒む正当な理由の一つにはなりますが、平日の診療時間内であり、小児科医が3人在院していたこと、ベッドがなくても応急的診療をするスペースもなかったわけではないこと、近くに代替的病院がなかったこと、救急車が玄関についていながら他へ転送したことなどからすると、受入れを拒む正当な理由がないと判断されてもやむを得なかったと考えられます。

6 緊急性がない場合

 緊急性がない患者の場合は、診察をしたり診察の依頼を受けた医師としては、自己の専門外である、診療時間受付外であるなどの理由により診療を拒んでも、患者としては他の医療機関を受診する、あるいは診療時間内にあらためて受診に来るなどすれば良いだけで、法的に問題はありません(これに対し、緊急性がある患者が来院した場合には、診察の上で転送手続をとるなど適切な処理をする必要があるといえます)。
 また、かつてその患者が当該医療機関でトラブルを起こしていることを理由として診療に応じなかったとしても、医療行為は医師と患者との間の信頼関係を基礎としているわけですから、それが失われている以上、違法とはいえないと考えられます(東京地方裁判所平成29年2月9日判決・判例タイムズ1444号246頁など)。最近の下級審裁判例では、診察を拒んだことが違法であるとして争われているのは、いずれも医療機関と患者との間でトラブルがあった事案で、診療を拒んだことを違法とする裁判例は見当たりません。

7 終わりに

 診療拒否が違法であることを理由とする損害賠償請求は、診療を拒んだ個々の医療機関を相手方とするものですが、救急患者については医療機関が連携して適切な治療を受けることができるような体制を構築することが重要です。本来的には、個々の医療機関の個別の責任を問うことで解決すべき問題ではないように思います。一人でも多くの患者が助けられるような医療機関の連携を望みます。

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