出会いと別れ
地域で町医者をしていると、新しく引っ越して来たと言って来院される患者さんがある反面、他地区に転居される患者さんもある。長年のお付き合いのあった患者さんとの別れは寂しいものである。
先日も、長年通院されていたKさん夫婦が最後の受診に来られた。Kさんは、10年程前まで診療所の近くに住まわれていた。お母様を自宅で看取られる時にはお世話した。Kさんには糖尿病があり、退職されてからはインスリン治療をされていた。その間に軽い脳梗塞をされたこともある。奥さんも高血圧で一緒に通われていた。
「長年、お世話になりました。いよいよ今日が最後の受診となりました」
「これで、お別れですか。寂しいですね」
「そうなのです。いろいろありました。突然言葉が出なくなった時にはびっくりしました」
「でも、後遺症もなく回復されて私もホッとしました。これからも生活に気をつけて身体を大切にして下さいね」
Kさんも、心なしか涙ぐんでいる。
退職後は毎週、スポーツジムに通って運動を心がけておられたのだが、高齢になって自動車の運転に自信がなくなったようである。町でKさんのボコボコに凹んだ自動車を見たことがある。
「そろそろ、自動車の運転がしんどくなりました。そろそろ運転免許を返上しようと思っているのです」
半年前にKさんから通院が難しくなるかも分からないとほのめかされていた。
「高齢になるととっさの判断能力が落ちて、運転は危ないので仕方ないですね」
「そうなのです。息子に送ってもらって通院を続けようかと思ったのですが、都合がつかないのです」
「息子さんには息子さんの生活がありますものね」
「自宅の近くの先生を紹介してもらえますか」
「もちろんですよ」
これまでの経過などを詳しく記載した診療情報提供書を作って、知り合いの開業医を紹介した。
他県から弟さんを頼って当地に来られたSさんもそんな一人である。アパートを借りて一人暮らしをされるようになった。若い頃に交通事故に遭われて下肢が不自由である。5年前にアパートで転倒して左大腿骨骨折をして手術を受けられている。
「今日はどのようにして来られましたか」
「弟が自動車で送ってくれたのです」
「それは助かりますね」
「こちらに来てから、弟夫婦が良くしてくれるので嬉しいです」
「買い物はどうされているのですか」
「必要なものを書いておくと、ヘルパーさんが買い物に行ってくれるのです」
弟さん夫婦の援助で過ごされていたのだが、再びアパートの玄関先で転んで左肩関節脱臼と左上腕骨骨折をされた。
「最近は夜間眠れないのです」
「一人暮らしなので、いろいろと考えると眠れないのですね」
「そうなのです。だんだんと不安になって。それと探し物が多く困っているのです。これって認知症の始まりかとまた不安になるのです」
それでも、しばらくは一人暮らしを続けておられた。
「やっぱり一人暮らしはしんどくなりました」
「そうですか」
「弟夫婦にこれ以上迷惑もかけられません。息子は遠方なのですが、近くの老人施設に入所してはと言うのです」
「老いては子に従えとも言いますね。それも一つの選択ですね」
「いろいろと考えたのですが、思い切って老人施設に入ることにしました」
その後、弟さんが来られるたびに、Sさんの近況を知らせてくれる。
「老人施設で元気にしているようです」
「それは良かったです」
「この間、手紙が来たのですが、先生のことが懐かしいと書いてありました」
「そうですか。それは嬉しいですね」
ほとんど血圧を測って世間話をするだけの診察であった。そんな診察であったが、今でも思い出してもらえているとは光栄と言うほかない。多くの患者さんに出会っては別れる。そのような繰り返しが、町医者の仕事かも分からない。(完)