―― 京 都 発 ―― 保険医年金創設55年 保険医年金のこれまでとこれから 今後の展望を保団連と語る  PDF

 保険医年金が5月に創設55周年を迎えるにあたり、記念座談会を1月21日に開催。全国保険医団体連合会の森明彦共済部長、内田亮彦副理事長、兵佐和子理事が出席した。

京都で生まれた
保険医年金
 内田 1955年頃の開業医は、制度化された恩給・厚生年金・退職一時金などがあるサラリーマンと比べて、「社会福祉だから」と診療報酬は抑えられ、診療報酬の振り込み自体が危ぶまれる時もあったようです。さらに老後の生活保障もほとんど考慮されていない中で、こうした低診療報酬・無保障な状況に立ち向かうべく、保険医協会が発足しました。
 医師の老後を保障する公的年金創設を国に求める運動の中で、66年頃、京都協会の当時の役員から「保険医の老後を守るため、公的年金の設立が難しいなら、私的なものでもいいから年金制度を作るべき」という声が高まりました。
 67年、「理想的な年金」として?掛金に比べ、実質利子が高く、積立額の増加率の良いもの?年金の給付額も高額となるもの?年金原資の運用は一流の専門機関で一括運用?元利合計金が全て加入者個々の自由となり、かつ全て個人に還元―という今の保険医年金にも受け継がれている具体的な案がまとまり、三井生命(現在の大樹生命)と安田生命(現在の明治安田生命)を受託保険会社に、68年5月、京都で保険医年金が発足しました。
 森 制度発足の苦労は、『戦後開業医運動の歴史』(保団連発刊・95年)の中でも紹介されています。
 同じ頃、他団体も私的年金制度の検討に着手していましたが、中途脱退できないことや、個人積立ではなく払い込んだ掛金が年金資金となる、いわゆる賦課制度のような形で運用されることへの不公平感があったようです。
 保険医年金は、掛金の運用は受託保険会社に任せますが、制度の基礎部分は「開業医にとって有用な制度」となるよう、当時の協会役員や会員の要望を吸い上げて、保険会社や当時の大蔵省とも交渉を重ねながら、自分たちの手で作っていきました。
 京都協会での制度発足をきっかけに、全国でも相次いで制度が導入されました。少しでも「開業医にとって有用な制度」を作ろうと奮闘されたことが、保険医年金が全国に広がったきっかけになっていると思いますし、その理念は今日にも受け継がれていると思っています。
 兵 最初に語られた理念が今でも守られている、今の保険医年金につながっているんですね。最初の理念を考えられた人たちのすごさを感じます。
 お金の運用は受託保険会社に任せますが、制度の中身まで委ねてしまうのではなく、創設団体が理念を守っていくということはとても大切だと思います。保団連の共済部会に出席し、受託生保会社からのヒアリングや質疑の様子を見ていると、森先生の「保険医年金を守りたい、より良くしたい」というご努力をすごく肌で感じます。

苦難の時を
乗り越えて
 内田 京都から全国の協会に広がった保険医年金ですが、苦難として思い出すのは、バブル崩壊後に一気に湧き出した「生保危機」でしょうか。2000年頃に「次は三井生命が危ないのでは」という噂が広がり、三井生命を幹事会社にしている保険医年金も、脱退する会員が多く出ました。
 森 あの頃は生命保険契約者保護機構もありませんでしたから、不安感が拡散しました。保護機構ができてからは、万一の事が起こっても積立金の90%を上限に保証されるようになりました。さらに、保険医年金では安全性を考えて、リスクを吸収できる体力がある生保会社を集め、引受割合(シェア)を割り振って共同で運用することで、リスク分散をしながら加入者の積立金の保護を図っています。現在は大樹・明治安田・富国・日本・太陽・第一の生保6社が共同運用しています。
 内田 共同運用については、会員の理解が十分でないと感じています。例えば大樹生命の営業職員を通じて申し込んだら「大樹生命の保険医年金」に入るんだ、と思っている会員がまだまだおられるのが現実です。そうではなく、6社共同で運用されるんですよ、ということをもっとPRしないといけないですね。「生保危機」の頃は、なおさらそういう誤解が多かったのかもしれません。
 森 97年頃は予定利率が2・5%程だったのですが、「生保危機」の中で予定利率がどんどん下げられました。当時、受託生保会社から企業年金の予定利率を軒並み0・5%くらいまで下げるという話が出た時は、全国で議論の末、1・25%に留めさせたということもありました。こうした取り組みの結果、確かに脱退者数は多かったんですが、その直後に「辞めなければよかった」と再加入する会員も多数いたと聞いています。

55周年を迎えて、
保険医年金のこれから
 内田 保険医年金の制度をさらに充実させるためには、加入者が増えなければいけません。京都では「顔の見える保険医協会」を目指し、若手事務局が中心となって、会員訪問や募集活動に取り組んでいます。ただ、なかなか今のご時世、「保険」とか「共済」と聞くと、節約のため真っ先に切り捨てる項目に入ってしまい、会員に声が届きにくいのが現状です。
 兵 銀行の定期預金などは、昔は「金利が良かったから」、今は「安全だから」「銀行の人が勧めたからとりあえず」と利用している会員も多いのではないでしょうか。銀行からは定期預金の他に投資なども勧められますが、すごくリスクがあったり、手数料が高かったりして難しい。
 保険医年金は1口毎月1万円から積み立てできる手軽さがありますよね。銀行で1万円ずつ積み立てても金利はそうそう付かないのに、保険医年金は数年間の元本割れ期間こそありますが、予定利率で積み立てることができる。「はじめは1万円からでも」と若い会員にもアピールできると思っています。
 森 兵先生の仰る通りで、特に若い会員は、株や、最近ではNISAなども詳しく勉強されていると思いますが、個人的には、日常診療に保団連役員の仕事もあって、NISAなどをやっている暇がありません。だからこそ、「黙っていても積み上がっていく保険医年金」の良さを感じています。保険医年金には1口50万円の一時払もあります。月払で着実に積み立てる他にも、月払は少しだけにして、余裕がある時に一時払で積み立てる。そういう運用・積立の仕方が選択できる点も、保険医年金の一つのメリットですね。
 先程話があった「生保危機」や、近年のマイナス金利政策や円安などの経済不安の中でも、保険医年金は制度創設以来、先生方の積立額を削減させたことがない点も、アピールしたいポイントです。「少ないリスクで、知らないうちに積み立てられる」のは、保険医年金のキャッチフレーズにもできると思っています。
 もう一つのアピールポイントは「中断ができる」ことだと思います。毎月の掛金の支払いを、いつでも中断できる。そして、好きな時に再開することができる。しかも、中断・再開に手数料がかからない。他にはない、保険医年金のユニークな特長ではないでしょうか。
 この他にも、80歳まで積み立てができたり、いつでも一時金として受け取り(解約)ができたりと大変便利な制度で、全国の会員から愛され、保険医年金全体の責任準備金(積立金)は現在1兆3200億円に上ります。私的年金では日本有数の規模で、受託生保会社へ支払う手数料も拠出型企業年金の中で最も低い水準なので、その分、会員の積み立てに反映できます。
 また、加入者5万1千人、責任準備金1兆3千億円超の組織から出される要望は、受託生保会社としても重く受け止めざるを得ません。受託生保会社任せにせず「開業医にとって有用な制度」を守っていくことにもつながっています。
 内田 今の時代に、積立金はもちろん、予定利率も死守しているのは、本当にすごい努力だといつも思っています。
 森 今回改めて保険医年金の歴史を振り返ると、京都協会の当時の役員諸氏が、保団連が設立するよりも前から「理想的な年金」「開業医にとって有用な制度」を考えて、本当の素人から議論・交渉を重ねられてこられたことは、相当な苦労だっただろうと思います。そういった苦労・努力のもとで、医師による、医師のための、大変便利な年金制度になりました。
 だからこそ、これからも保険医年金を守り続けていきたい、より良い制度にしていきたいと思っています。そのためにも、今の予定利率を下げる受託生保会社をなるべく作らないこと。今だけでなく、中・長期的な制度維持を念頭に、今後も交渉を重ねていきたいと思います。
 内田 本日は本当にお忙しい中、ありがとうございました。

ページの先頭へ