(30歳代後半男性)
〈事故の概要と経過〉
患者は、他院から本件医療機関に正中頸嚢胞の治療目的として紹介受診した。医師は、患者の舌骨上に嚢胞様腫瘤を認め、また単純CTでも同様の所見であったため正中頸嚢胞と診断。受診から約10日後に全身麻酔下で摘出術を行った。麻酔実施後の手術直前にCTを見直すと別の軟部腫瘤と見える陰影が写っていることに気付いた。そこで、患者の家族には新たに見つかった腫瘤も併せて摘出することを説明し、その承諾を口頭で得た。しかし、医師は摘出中に嚢胞様腫瘤・軟部腫瘤ではなく異所性甲状腺ではないかと疑った。術後、摘出標本からは異所性甲状腺に見え、組織学的にも甲状腺組織であると確認された。
患者側は、誤診として今後予想される甲状腺機能障害に関して賠償を求めた。弁護士を介して症状固定を待たずに示談を要求し、さらに業務上過失傷害罪で担当医を刑事告訴した。
医療機関側は、最初に摘出した腫瘤は結果的に異所性甲状腺であったが、正中頸嚢胞と診断しても無理はないとして医療過誤を否定。しかし、引き続き摘出した2個目は、もっと慎重に診断すべきで、手術適応はなくその過誤を認めた。治療費は、今後に予想される甲状腺機能障害も含めて、請求しないと患者側に約した。患者は一生投薬が必要になるまでには至らないが、毎年、検診を受けなければならなくなった。
紛争発生から解決まで約3年3カ月間要した。
〈問題点〉
医療機関側は1個目の腫瘤摘出は医療過誤を否定した。しかし、患者の予後に影響を与えるのは2個目の腫瘤(異所性甲状腺)の切除であったので、2個目の診断の是非が問題となった。なお、患者は症状固定を待たずに賠償金額の提示を医療機関側に急がせている様子が窺えたが、症状固定を待たないと損害が確定できないことを患者に理解するように求めた。
また、以下の点について医学的な確認を行った。
CT画像から異所性甲状腺との読影・診断は可能であったか?
CT像は、典型的な異所性甲状腺であった。画像診断の専門医であれば誤診はまずあり得ない。したがって、正中頸嚢胞と診断することは不適切と判断せざるを得ない。ただし他科医師(画像診断を専門としない医師)であれば、やむを得ないとの判断もあり得る。逆に言えば、CTの読影を画像診断専門医に依頼していれば誤診は未然に防げたであろう。
よって、医療機関側の「舌骨の前方(皮膚側)にある腫瘤については、正中頸嚢胞の好発部位であること。高濃度タンパクなど貯溜すると高濃度になることがあること。頻度的に正中頸嚢胞が多いことなどより、『正中頸嚢胞』と術前診断され得ると考えられる」との医療機関側の見解については、CT像で見られる舌根部腫瘤を見逃している点で過失となる。舌根部腫瘤にも気づくべきであり、気づいていれば、舌骨前方の腫瘤がそれと全く同様の濃度および内部性状であることから、どちらも異所性甲状腺であるとの診断に容易に辿りつく。
当初から医療過誤は指摘されていたが、患者の実損から考えると、法外な賠償金を請求されたために、示談に時間がかかっていた。その間に、患者側は刑事告訴をしてきたもので、事態がより複雑化した。また、検察官が民事解決を促す発言をしたこともあって、通常よりは高額示談となった。検察官に刑事事件として起訴することを回避したい様子が窺われた。
まれに、医事紛争が業務上過失「致死」罪で告訴されることはあり得るが、業務上過失「致傷」罪での告訴は極めて珍しいということであった。患者側が刑事事件化を仄めかすことがあるが、その場面に遭遇した医療機関側の苦悩は計り知れない。そのようなケースは、患者側、医療機関側両者にとって極めて不幸で残念なことでもある。
協会は刑事・民事のいずれであっても、なるべく裁判は回避し、当事者間での解決を目指している。
〈結果〉
医療機関側が医療過誤を認めて示談することにより、当該医師の起訴を回避することができた。
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