肛門科の徒然日記 9 渡邉 賢治 (西陣)  PDF

痔瘻の治療は今も昔もほぼ同じ

 今、夏目漱石の「明暗」を読んでいます。どうしてかというと、明暗に出てくる「津田」という人が肛門の診察を受け、痔瘻と診断されて根治術が必要だと医師から言われるシーンから「明暗」は始まるからです。
 夏目漱石も漱石日記の中に、医師のところに行き、「痔の中を開けて疎通を良くしたら五分の深さと思ったものがまだ一寸程ある、…」という記述があるそうです。漱石も痔の治療で一週間程度入院したことがあったようで、「痔の中を開けて」は恐らく肛門周囲膿瘍に対して切開排膿をしたことを指すのでしょう。また深さが一寸あるというのも、一寸は約3㎝であることから、肛門の出口から2~3㎝ほど奥にある肛門腺が原因だったのだと思います。
 「明暗」冒頭に、「医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した」とあります。そして疎通を良くするためにがりがり掻き落としてみたとあります。おそらく膿が出てくる瘻管の中をえいひ等で掻破したのだと思います。でも痔瘻は、瘻管の中を掻破するだけでは根本的には治りません。そこで医師は「根本的の手術を一思いに遣るより外に仕方がありませんね」と痔瘻根治術を進めたということです。
 読んでみると今と昔、手術の基本は同じです。切開して瘻管を開放創にすると説明していますし、術後は「すると天然自然割かれた面の両側が癒着してきますから、まあ本式に癒るようになるんです」と。切開した開放創に自然に肉が盛り上がり治癒していくことを話しています。
 今日、痔瘻の手術も随分進んできています。でも内痔核の治療と違って、基本部分は今も昔も変わりません。原発口と原発巣を瘻管を含めて摘出したり、開放創にするのが痔瘻の根治術になります。痔瘻の治療はまだまだ変わっていく部分が多いと思います。
 さて話の続きに、津田が「もし結核性のものだとすると、…」というくだりがあります。痔瘻と結核?と思われる方もいると思います。昔は、肛門周囲膿瘍やそこからの痔瘻は腸結核が原因で起きることがありました。現在も結核に罹患される方はいますが、痔瘻の原因になることはまずありません。今は痔瘻は、大腸菌などの腸内細菌が原因となります。
 結核が基礎にある痔瘻は、治りにくかったのだと思います。現在、痔瘻で問題となるのは、潰瘍性大腸炎や特にクローン病などの炎症性腸疾患によるもので、難治性で問題になります。
 クローン病では、本来の肛門腺の感染で起きる肛門周囲膿瘍から痔瘻に移行することもありますが、クローンによる直腸の潰瘍などによってそこからの膿瘍形成から痔瘻になる場合があります。ですから、痔瘻となる原発口や原発巣を処置することが難しかったり、痔瘻の手術をすることが体に侵襲を与え、もとにあるクローン病や潰瘍性大腸炎の状態が悪くなったりすることがあります。
 こういった炎症性腸疾患などを基礎に持つ患者さんの痔瘻の手術に関しては、クローン病や潰瘍性大腸炎の状態が落ち着いていて、しかも手術に関してもできるだけ体に侵襲のない方法で行う必要があります。
 さて、「明暗」が書かれた頃の痔瘻の診察や治療も興味ありますが、まずは未完結のこの小説を読み切ろうと思います。
(完)

ページの先頭へ