本書は、歌人故河野裕子の乳がん再発後他界まで、まだ来ぬ死を見つめながら344日間の生き様を家族と共に取り組んだ思い出の書で、河野・永田一家の歌人5人の歌63首と、お互いを思いやった63編の随想に加え、故人の未発表エッセイには実母を含め一家外の歌も何首か含まれている。
ところで、京都協会では、14年7月27日(日)の総会後に、世界的な細胞生物学者で高名な歌人の永田和宏氏を招き、講演「言葉の力」を聴講した。内容は、妻は河野裕子で与謝野晶子以来の秀麗・傑出した歌人で、岡本かの子逝去から30年にして「たとへば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」との力強い歌もでた、と紹介された。そして、それはまた、たくましくもシャペロン分子の世界的権威にも育つ、「おれの少年」にも届いていた訳である。
ただ、講演者からは、妻は数年前乳がんが再発して逝去し、その際その病態についてもいろいろ調べ、正しく理解し心を砕いて伝えたりもしたが、「嘘を言っている、何か隠している」と辛そうに受け答えして取り合ってくれず、それが心残りでした、とのことでもあった。医者と患者の会話にも似ているなあと思いつつ、人間必ず死ぬと判っていても、その日はまだ来ないと思い込んでいる者と、病状から残りわずかと実感した者との間には、心理的な壁が生じ、その間でどう看取りどう鎮魂がなされるかが課題となる。前者の者が自分も後者になったと分かった時、初めて後者の者の苦しみ悲しみが漸く心から分かるようになるのであろうが、その時には後者の者はすでにあの世に旅立つか消滅している(本紙3094号掲載)。もはや共感の言葉かけもできず、例えばF・フェリーニ監督作品、映画「道」のザンパノとジェルソミーナとの関係のようにもなっていようか(本紙3092号掲載)。
一緒に聴講した小児科医の妻は、ちょっと意見を異にした。本人はまだ死にたくない、長く生きていたかったのよ、だから嘘の方を聴きたかったのよ。君はまだ大丈夫、死なない! これ以上悪くならない! 手術も抗がん剤も苦しい追加処置は必要ない! と。主治医じゃなく夫なのだから。私(妻)が再発したら、あなた(筆者)も医者ぶって学者ぶってまた統計の話でもするのよね? との批判であった。尤も、本人には、「夫といえども他人にこの痛みがわかる筈がない…」との自覚はあったのであるが。
歌はあまり解らない。しかし、むしろ、笑う、食う、歩くなどして生き、腹式呼吸やら、例えばまた「古くなり切れて久しき電球の下通るたび念力ためす」と自然体での歌の方が好きではある(大森静佳『この世の息 歌人・河野裕子論』185頁)。
歌人最期の歌は「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息がたりないこの世の息が」と夫に口述筆記された。本書は、それまでの比較的ゆとりある時間を以て、死への看取りと鎮魂への交流とを実現して記載された貴重な成功譚の1冊とも言える。ご購読をお勧めする。
『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』
河野裕子・永田和宏・その家族 著
2011年2月13日 産経新聞出版 発行
1,320円(税込)