続 私の閉院後生活 1 野々下 靖子氏(乙訓)  PDF

 本紙2985号(16年12月10日発行)より3回にわたり連載した「私の閉院後生活」。連載終了後も精力的に活動されている野々下靖子氏(乙訓)の日常を「続・私の閉院後生活」として執筆いただいた。

地域での新たな課題「防災」

 私が医院を閉院したのは2015年3月。その後は認知症カフェ「けやきの家」を運営しています。医院閉院やカフェ開設のドタバタは、以前に連載で書かせていただきました。新型コロナ流行拡大時はカフェをいったん休みましたが、コロナ対策に追われつつも今は再開しています。
 あらためて医院の時代からカフェのこれまでを振り返ると、地域の人たちとのつながりなくして、ここまでやってはこられなかったと感慨深い思いです。
 カフェを開設するずっと以前から、いろいろな取り組みを地域で行ってきました。例えば、「みまもるone」。認知症の行方不明者を捜索する目的で集まったグループですが、発展して介護家族と有識者の集まりとなり、認知症の正確な知識を得ていただくための学習会を開催しています。会では意見交換が活発で、なかなか厳しい意見も飛び出します。少し背筋を伸ばして参加する会です。
 介護家族の会は、医院待合室から自然発生した集まりで、長岡京市のいろいろなところの人たちが集まっています。
 また、この地域の自治会で顔見知りを一人でも多く増やそうと始めたのが「きずなの会」。ここらへんが新興住宅地ということもあり、お隣さんの顔も知らないという人が多くいました。しかし、2011年に起こった東日本大震災を契機に、住民同士のつながりを深めようと当時の民生委員さんがエネルギーを発揮し、それに共感した住民の有志が集まって勉強会を立ち上げました。今は世話人を募り、手を挙げてくれた地域の人たち数人が中心となって運営しています。ずっと自治会館で開催していて、一番多い時は50人ほどの参加者が集まりました。現在は15人くらいです。開催時間は2時間。どういった話が聞きたいか相談して、テーマが決まればいろいろな方に講師をお願いしています。参加者同士、お互いに面識ができたら、各人から困っていることなどがどんどん出されてテーマには困らない状況です。乙訓医師会の医師はもちろん、時には市役所にお願いして長岡京市の施策をわかりやすく解説してもらうこともあります。
 他方、18年の大阪府北部地震の際にカフェで防災が話題となり防空頭巾を縫ってみたり家具のすべり止めを設置したりしています。他の取り組みでも防災は話題になることが多く、20年初夏にこの地域の四地区防災の会が立ち上がりました。この地域は一つの山に高台・高台西・金ケ原・こがね丘という四つの地区があります。カフェのある高台が山の上になるのですが、もともと高台地区には自主防災グループがあり、元建築屋さんなどの有志が集まって、独自にハザードマップを作成したり、自主訓練などを行っていました。そういった取り組みを広げようと4地区の自治会長さんを中心に情報交換を行っています。避難路の再設定や自分で逃げられるか手助けが必要かなど、各家の状況を各地区で把握しようという試みです。私は、地域の人たちを患者さんとしてよく知っているだろうということで呼ばれました。
 この地域もずいぶんと高齢化しています。空き家も増えました。一方で若い世代はあまり入ってきていません。そういったことへの危機感が地域のつながりを高めることにつながっているのかもしれません。

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