近年まれに見る大きな功績ではなかろうか。
女性蔑視の発言が公然と行われる日本の現状を世界にとどろかせた。ジェンダーへの関心を高め、女性たちが声を上げる運動に火をつけた。ボスによる後継指名、水面下の根回しといった人事の裏側を見せてくれた。コロナ禍が収まらない中、世界から人を集める大規模イベントを中止しやすくする地ならしをした。
そう。立役者は森喜朗さんである。女性は発言が多くて会議に時間がかかるという話を織り込みながら、40分間もしゃべり続けた。どんなことがあっても五輪はやる、と自分の主張を堂々と展開した。
おかげで気づく人がだんだん増えたようだ。今回浮かび上がったのは、女性差別の問題だけではない。本質的なキーワードは「わきまえる」だろう。東京五輪組織委の女性は「みんなわきまえておられる」と森さんは語った。
善悪をわきまえる、道理をわきまえる。公私の別を、場所柄を、礼儀を、立場を、身分を、わきまえる。
共通項を探ると、倫理または社会的な規範をしっかり意識して、自分の発言や行動を制御するという意味のようだ。「心得る」とは少し違って、積極的なことや目立つことを控えるニュアンスが強い。
わかりやすく乱暴に言い変えるなら、「でしゃばるな」「黙ってろ」「好き勝手するな」といったところか。
そう言われる前に内面化しておきなさい、ということが「わきまえる」の核心である。それが必要な場面もあるだろうが、「内的抑圧」を促す言葉と言える。
「忖度」は力関係のもとで表に出さずに行われる。「空気を読め」は、より幅広い場面で、読めない人を非難し、口を封じようとする。
「わきまえる」は、意見を言わず、議論をせず、上に従うことを期待する。
男性こそ、組織での立場をわきまえて大勢に合わせているのではないか。女性は、性別や見られ方を意識して発言を控えたり、同調圧力をかけたりしていないか。
何かあっても物を言わず、波風を立てない。恐れているのか、保身なのか。役所でも企業でも学校でも、そういう風土が根強くある。
市民団体や社会運動でも、そんな空気はしばしば見受けられる。意見が違うと人間関係まで悪くなってしまうから、率直な議論がしにくい。
新しい考え、異なる意見を抑え込む組織や社会が発展するはずがない。日本の社会・経済が衰退しつつある根本原因のひとつではなかろうか。
意見を言えなくてもストレスのたまらない方法はある。自分で考えず、自分の意見を持たないことだ。権力者にとって、たいへん都合がいい。
最後に少し。この間、ジェンダーをめぐる意識が高まったのはいいが、世論の動向には気になる点もある。
森さんや後継に挙がった人を、高齢だからダメと言ってよいのか。エイジズム(年齢差別)は許されるのか。
「オッサン」という言葉を使うのは、中年以上の男性への侮蔑ではないか。
わきまえずに、空気を読まずに、そう発言しておこう。
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