医師が選んだ医事紛争事例 132  PDF

左乳がんの見落とし

(50歳代前半男性)
〈事故の概要と経過〉
 患者は、左乳房のしこりに気づいたため本件医療機関を時間外で受診した。医師は、左乳房に境界明瞭な腫瘤を認めたが、皮膚や深部との可動性もよく、皮膚に異常もないため女性化乳房と診断した。患者から痛みの訴えはなかった。医師は患者に女性化乳房の原因としてホルモンバランスが崩れたためであろうと説明した。なお、カルテには「気になるようならマンモグラフィーのできるところへ」と記載していたが、患者は聞いていないとのことであった。
 時間外で受診した日から約4カ月後に左母指の挫創で受診し、その治療に計3回通院したが、その間患者からは乳房に関する訴えは特になく、乳房や同部の腫瘤についての問診や診察・検査・治療はなかった。その後、患者は左乳頭からの分泌物を確認してその約半年後にA医療機関を受診した。CT、マンモグラフィーを受け、その結果、乳がんと診断され乳房切除術を受けた。リンパ節転移が4個あり、ステージ3であった。A医療機関の医師は再発率60%と説明した。
 患者の主張は以下の通りである。①初診時に、患者は乳がんの可能性を本件医療機関の医師に問うたが、医師は心配ならば1カ月後に受診するように説明したものの、半年後には腫脹は消えるだろうから大丈夫だと言ったので、安心してすぐには再受診しなかった。すなわち、医師の説明が不十分であった②触診のみでなく細胞診をすべきであった③初診時に乳がんを疑っていれば、ステージ1~2で発見されたはずである④本件医療機関の医師に誤診をした事実を自覚し反省していただきたい⑤医師に賠償請求する意思はない。
 紛争発生から解決まで約6年10カ月間を要した。
 医療機関側としては、乳がんの見落としは事実であり、マンモグラフィー等の再検査の必要性を十分に患者に伝えなかったとして医療過誤を認めた。
〈問題点〉
 患者が主張する①について、患者が疼痛を訴えていなかったのは事実であるから、乳がんとの鑑別が必要であったと考えられる。医師が「腫脹は消えるだろう」と言及した点も説明が不十分であったろう③の主張にも見られるように、仮にこの時点で乳がんを疑えば、ステージ3には至っていなかった可能性もある。したがって、患者の予後に不良な影響を与えた可能性も否定できず、少なくとも説明義務違反は免れ得ないであろう。
〈結果〉
 医療過誤は否定できなかったが、患者側が賠償請求をしてこなかったので、立ち消え解決とみなされた。
 医師は患者に心配ならば1カ月後の受診を進めていた。カルテにはマンモグラフィーなど転医勧告の記録もあるが、患者は聞いていないと述べている。さらに、半年後の腫脹の消失が予告されたことで安心して1カ月後の再受診を控えたとも発言しており、齟齬が生じている。
 予後の経過については、確率的にはさまざまな症状があり得る。未来に生じ得る結果は不確定であり、「心配ならば」「気になるようなら」との患者の心理的評価による主観的条件付けによる判断を待つのでは、必要な検査実施に至るまでに時間を空費する危険性が生じる。
 また、腫瘤性病変については、病因論的には炎症、腫瘍、変性、外傷の、特に前二者の鑑別、病態的には神経系、循環器系、代謝系、生殖器系、その他の症状・所見の併発に留意して鑑別診断のための症状の聴取と客観的所見の把握が必要となろう。

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