田中 啓一(右京)
2020年12月に建設した美術館のことを書いてみたい。美術館と言っても、建物があって絵画が展示されているリアルのものではない。インターネット上の美術館である。名称は「柿本胤二かきもとたねじ美術館」。
柿本胤二という札幌在住の素人画家の多数の作品のうち、戦争画に絞って、鑑賞できる。
この人物は、18年10月に病没した亡妻の父親で、年齢は満百歳、人生100年時代の見本のような人物である。現在も老人ホームから週に1回、自身の設立した会社に出勤する生活をしている。
柿本は1920年に北海道に生まれ、兵役となって、44年1月、南太平洋の島の一つ、メレヨン島に陸軍砲兵隊として展開した。サイパン島陥落後には、アメリカ軍からはもはや攻撃の対象とはされず、その一方で、武器も食糧も乏しく、事実上、戦うことすらできない状態であった。
44年6月、サイパン島陥落後にメレヨン島への食糧補給のルートが絶たれ、食糧不足が極まった。陸海軍7000人の兵士のうち、飢餓との闘いの中、食糧を盗み処刑された者、自殺した者、衰弱死した者らの数は6000人に及ぶ。
柿本は北海道へ帰還した後、生きるために働き、家庭を持ち、生活が安定した後、作画活動を始めた。かたわら、全国メレヨン会という遺族・生還者の会を作り、同島訪問を繰り返した。
絵を売って食べていくだけの技量のない柿本は、同好の士をさそって、風景や人物を描き、時には裸婦まで描いて、個展を開催したり、画集を自費出版したり、絵葉書をこしらえたり、自称日曜画家であった。
メレヨン島での飢餓体験を描くのは80歳を越えてからで、生涯一番の強烈な体験を描かずにはいられなくなったのである。その作品が世間の注目を集め、2015年にNHK北海道による30分の特集番組、19年には北海道新聞による一面記事、20年8月には全国NHKのニュース番組に取り上げられた。
百歳の誕生日プレゼントに、柿本の長男、次男、そして私の3人が協力して、このデジタル美術館を作り上げた。