地域紹介シリーズ第22弾の「山科」座談会を2020年9月17日に山科医師会診療センターで開催。出席者は山科医師会より戎井浩二氏、安井仁氏、片岡正人氏で、山科の地域医療について語っていただいた。
山科の医療 ── 三つの特徴
戎井 山科の医療の移り変わり、山科が今抱える医療の問題について、まず片岡先生から話してもらえますか。
片岡 三つの柱を考えてみました。一つ目は山科という地域の特徴です。京都市の中でも山科は特殊な地域です。今は京都市山科区ですが、元は東山区の一部でした。分区したのは1976(昭和51)年のことです。医療圏としては大津市も含まれてきますね。
また、古くから山科に住んでいる住民の気質ですが、京都市中心部の住民のそれとは様相がちょっと異なるように思います。というのも、山科は地域のつながりが強いんですね。これは日常診療をする中でも感じます。横のつながりがあって、町内会のつながりも強い。もちろん、新しい住民が次第に増えてきているので、変わってきている面もあると思いますが、地域のつながりは今も強い方だと思います。
二つ目は、東山医師会山科班時代からの歴史についてです。新たに開業された先生方は知らないかもしれませんが、山科班時代から続く診療所が結構あります。2代目、3代目という医師もそこそこいます。
三つ目は、2020年に山科医師会は法人化しました。それに伴い、山科医師協同組合が歴史的役割を終え、数年以内に山科医師会に吸収合併されることになります。
戎井 安井先生は、私と同様、30年以上前に愛生会山科病院に勤務されて以来、ずっと山科で診療されていますが、もともと山科の出身ではありませんね。山科やその特性に関してどうお考えですか。
安井 特性ということでは、京都のベッドタウンとして人口が増えてきた地域だと思います。しかし、当時山科にやってきた人たちがだいぶ高齢化してきており、区の人口も横ばいから減少に向かっている状況です。今後新たに大きな人口増は見込めないと思います。若い世代の人口は増えているんでしょうか。
戎井 山科区の人口は約13万人です。70年代に宅地開発が一気に進み、そのときに山科区に移ってきた方がすごく多かったんですが、以後、大きな人口の動きはなく、高齢化が進んでいます。近年、マンションが建設され、若い人たちも少しずつ入ってきてはいますが、区全体の高齢化を止めるまでには至っていないんじゃないでしょうか。
安井 19年に災害発生時の避難訓練に参加する機会がありました。訓練に集まってくる人を見ていると、若い世代が非常に少なく、高齢の方ばかりでした。全体として若い世代が少なくなっているだけでなく、若い世代と高齢世代とのギャップと言いますか、交わりも希薄になっている現状を痛感しました。こういっ
た現状は山科地区だけの問題ではないと思いますが。
戎井 地理的には外環状線がちょうど区の真ん中を走っていますが、外環を挟んだ東と西で違いを感じることはないですね。ただ、山科は他府県からの移住が多い印象があります。
一方で、山科は歴史的には皇室領でして、そこを統括する郷士というのが何軒かあり、そういう人たちが地域のまとめ役となっていました。そういう古い歴史を持つ一画もあります。しかし、70年代くらいに日本の多くの地域と同様、山科も大都市のベッドタウンと化し、それが現在の高齢化した地域に変わってしまっています。
東山医師会山科班時代のこと
戎井 東山区から分区して山科区となったのが1976(昭和51)年です。山科医師会はそれより前、72(昭和47)年に設立されています。当時の山科はどんな地域だったんでしょう。
片岡 山科医師会ができた72年は、私がまだ高校生の時です。親が家の隣の診療所で仕事をしていましたが、まだ高校生だったのでどんな患者さんが来ていたかの記憶はありません。ただ、それ以前の東山医師会山科班時代のことで言うと、父は外科医で胃潰瘍やアッペの手術もやっており、入院設備もあったので、大部屋の入院患者さんのところに遊びに行き、将棋を教えてもらったりしていたことを覚えています。
戎井 のどかな時代でしたね(笑)。
片岡 かなりアットホームな雰囲気でした。当時の患者さんが、昔、私と将棋を指したなあと言って診察に来られることもありますよ(笑)。今も、当時のそんな雰囲気は、気質としては残っているようにも思います。
病診連携とひっ迫する救急医療
戎井 その頃はまだ地域には大きな病院もありませんでしたね。当時は愛生会山科病院、桑原病院と小澤病院くらいでしょうか。比較的小さな病院はあったけれど、地域の医療は開業医を中心にやっていこう、地域ごとにかかりつけ医がいて、患者さんのさまざまなことに対応しようという感じだったでしょうか。今は音羽病院などいろいろありますので、だいぶ状況は変わっています。
安井 幸いと言いますか、山科地区は洛和会音羽病院と愛生会山科病院という基幹病院が二つありますので、病診連携が非常に取りやすいと思います。現在だけでなく、以前からやりやすい状況があったんじゃないでしょうか。
ただ、病院があまり大きくなり過ぎると、個々の先生とのつながりも薄くなってきますね。病院の先生と顔の見える関係をいかに維持していくか、今後課題となってくるかもしれません。また、中堅の病院との関係も、基幹病院が大きくなった今後も続けていきたいと思います。
病院との関係で言うと、我々開業医として一番ありがたいのは、救急対応です。しかし、最近は基幹病院でも救急科の担当医が不足しています。19年には基幹病院の方から我々に対して、診療所でもある程度対応してほしいと要請がありました。今後どのように救急医療を守り、構築していくか、病院側からだけでなく診療所側からも考えていかなくてはいけないと思います。
戎井 山科は、地下鉄東西線が開通したことで交通が便利となり、医療も山科区内だけで完結するのでなく、東山以西の病院、あるいは逢坂山おうさかやまを越えて大津市内の病院との連携も考える必要があると思います。その際、医師会の垣根をどう取り払っていくのかということも大事になるかもしれません。
開業医の専門性を打ち出す
片岡 京都市内のどこの医師会もそうだと思いますが、住民、患者さんの高齢化と同時に、開業医自身が高齢化してきています。診療所を次の世代にうまく承継できればよいのですが、ご子息が医師になっても何らかの事情で跡を継がないというケースもあります。そうなるとやがて医院を閉めざるを得なくなる。どうやって次の世代につないでいくのかという問題がありますね。
戎井 かかりつけ医の高齢化という問題と同時に、新規に開業された方の中には、勤務医時代からの専門性を打ち出して、専門性の強い医療を始める方がいます。安井先生も外科医として、乳腺外科など、地域の要として医療をされていますね。専門性とかかりつけ医との折り合いについて、どう考えていますか。
安井 私のところでは、「消化器外科、乳腺外科、内科」を標榜しています。現状、特殊性があるとしたら乳腺外科を標榜していることだと思います。かなり特殊性のある科を中心にしていますが、関連して一般の患者さんも増えてきています。専門性を持ち、かつ一般診療もするというのは、多様なニーズに応えることになると思っています。何か一つ専門性を持ち、同時に幅広く診ていくという姿勢は今後の地域医療において、医療側・患者側双方にとって好ましいことではないでしょうか。
また、先ほども言いましたが、地域には基幹病院が二つあり、病院の専門科とのやり取りもやりやすい。先ほどの大津の医療機関との関係も考えていく必要性があるという話と逆になりますが、山科地区内で専門医療を完結できる関係も病診で築けているのではないかと、少し自負しています。その場合、開業医は「町のコンビニエンスストア」に近い存在ですね(笑)。
片岡 いろんな専門性を持つ医師が多いと、診診連携という点でもやりやすいですからね。
戎井 そうなんです。山科のよいところの一つは、診診連携が取りやすいことです。専門医同士、開業医同士が医療を進めていく。難しい手術を必要とするような患者さんはどうしても病院にお願いすることになるのですが、なるべく地域で、診療所同士で頑張って対処していこうという姿勢は強いと思います。
職住分離 ── 災害時、診療所に医師がいない
安井 現在の山科の問題点を一つ挙げておくと、職住接近ではなく、職住分離の医師が増えてきていることです。
中堅クラス、あるいはそれより若い開業医の先生方は、ほとんどが京都市内の別の地域に住んでいます。これは災害時医療に大きく影響してきます。
2013年9月の台風18号の時、地下鉄が止まり、主要道路も渋滞で使えない状況に陥りました。そんな時医師が現場、診療所にいないと対応することができませんので、大変困った事態が発生したことがありました。
戎井 新しく開業した方は、初め山科区内の病院に勤めて、そこからスピンアウトして開業したケースが多数派かと思います。他地区からやって来て開業した方もいますが、いずれにせよ東山より西の地域に住んでいることが多くて、この場にいる3人もそうなんですよね(笑)。
何かあった時にどうするか。山科には、片岡先生が始めた災害時医療対策で、医師会に加え、地域の行政、警察、消防、あるいは刑務所の関係者も関わって、年に何回か委員会を開いています。その中で問題となるのが、今ご指摘の通り、災害があった時、診療所を開くことができるかということです。この問題はこれから先、かなり気を付けておかなければならないことです。
安井 私は診療所だけでなく特別養護老人ホームにも勤務しているんですが、災害時、死亡確認も含めた入所者への対応など、物理的に距離がある際、問題となってくると実感しています。
在宅医療のハードル
戎井 在宅医療の話になりますが、職住が分かれていることが、山科の場合、ハードルになっているんですよ。在宅医療を担当してくれる医師が非常に少ないという問題があります。看取りの際は、すぐに患者さんのもとに駆けつける必要がありますが、それが難しいということで、担ってくれる医師の数が少ないのです。片岡先生も在宅を担当されていますが、その辺の苦労はどうですか。
片岡 看取りをしたことがありますが、その患者さんは胃がんの末期で、一切の治療を拒否されていました。亡くなられたという連絡が入ったのが午前中のことで、診療の最中でした。お住まいは同じ町内でしたので、走ったら1分もかからないくらいで行けるところです。連絡はケアマネジャーからありまして、「もう息が止まっています」ということでした。診察の区切りがついたらすぐにそちらに向かいますと返事して、10分後くらいにはお宅に伺うことはできたと思います。
戎井 診察時間中だったからすぐに対応できたわけですね。これが夜中だったりすると、どうしようかという話になります。
片岡 あるいは休日でどこかに遊びに出かけている際に連絡が入ったりした時なんかもね。
変わったことと変わらなかったこと
戎井 話題を変えて、東山医師会山科班時代からの歴史について語ってもらおうと思います。一番歴史に詳しいのは片岡先生ですね。
片岡 山科班当時の歴史については私もよく知っているわけではありません。ただ、皮膚感覚、記憶としては、実質的には当時も今の山科医師会と雰囲気はあまり変わっていないように思います。
私の小学校時代、山科班で野球大会を開催していました。会員、従業員の家族も参加してチームを作っていたんです。私も大会に出してもらったことがありました。当時会員数は開業医で30人くらいだったと思います。こじんまりとした医師会でしたが、一つのファミリーという感じでした。まとまりのある地域だったなあという思い出があります。
戎井 当時は開業医が30人くらい、その他病院の勤務医を含めても、山科班としての会員数は100人にも満たなかったでしょうか。現在は研修医まで含めると400人を超えていますので、ずいぶん大きくなったと思います。
安井 私が山科で働くようになったのは、大学病院の研修医時代、1986(昭和61)年にアルバイトで愛生会山科病院に来て以来なので、もう30年以上になりますね。当時は路面電車で三条京阪から外環三条の愛生会山科病院まで通勤していたんですが、途中、1軒だけスーパーがあったんです。当直の時なんかは店の前でいったん下車して、食料・新聞などを買い込んでから病院に向かったものです。
戎井 私も1988(昭和63)年からですので、30年以上山科と関わっていることになります。そういう意味ではとてもなじみの深い地域になりました。その頃は三条通にはまだ古いお家がいくつも残っていて、昭和の雰囲気が色濃く漂っていましたね。それが、地下鉄が開業してから急速に風景が変わってしまった感があります。
東山医師会と分かれてからは、独立独歩という感じでしょうか。しかし、今後は研究会など、お互い協力し合いながらやっていく時代になるだろうと思います。特に新型コロナの問題が起きて以降、講演会のウェブ開催という方法も一般的になってきました。片岡先生が言ったように、山科、東山、醍醐、あるいは大津の医師会を含めた取り組みも今後必要とされていくのではと思っています。山科単独で何かできる状況ではなくなってきている感じはありますね。
山科医師協同組合を引き継ぐ
戎井 山科医師会は長年にわたって任意団体として活動してきました。しかし、会員数が増加し、また行政や各種団体との連携が求められる機会が多くなったこともあり、今後責任を持って活動していくためにも、法人格を取得した方がよいだろうということで、20年春に法人化しました。
一方、山科医師協同組合という組織があって、これは共同購買、融資、各種の福利厚生事業を行ってきた法人です。組合が山科医師会診療センターを所有し、山科医師会は組合に対して賃貸料を支払い、間借りしている形です。医師会と協同組合との一種の二重構造になっています。この二つの組織を一つにまとめ、医師会に統合し、組織の見通しをよくしていこうというのが、医師会法人化のもう一つの動機です。
片岡先生は山科医師協同組合の現理事長ですが、法人化した医師会は今後どうあるべきだと考えますか。
片岡 まず医師会側に求めたいことは、協同組合が行っている事業を原則全部引き継いでほしいということです。たとえば、毎年8月の最終土曜日に琵琶湖ホテルで行っている会員、家族、従業員を対象とした講演会。毎年5月か6月にやっている文化講演会。これらは会員のまとまりをはかるという意味で、重要な会だと思います。
戎井 山科医師会の会員は医師ですから、医師会の事業も対象は医師だけなのに対し、協同組合では従業員を含めた福利厚生事業を行ってきました。今後統合された後は、医師会として従業員も含めた福利厚生事業を進めていきます。それは最初からの目標でもあります。
同時に今の時代、医師会の活動あるいは保険医協会にも関心を持たない、無所属の医師も徐々に増えています。そういった方々とも連携し、団結しながら地域の医療を進めていくことができるか、行政や各種団体との関係性も含めて考えていきたいと思います。
安井 山科医師協同組合は山科医師会が発足してから、何年くらい後にできたんでしょうか。
片岡 2年後くらいではないでしょうか。共済組合がもとにありました。
戎井 山科貯蓄組合というのがあって、それが発展して共済組合、協同組合になっていったんですね。
山科の場合、協同組合の所有でここ山科医師会診療センターという建物があります。今後は医師会が主体となって、協同組合が担っていた機能を全部吸収してやっていこうという目標を立てています。
片岡 設立当初、医師会を法人化して医師会館を持つというのは、法的手続きとしてかなり難しかったんですよ。それで協同組合法に基づき協同組合を設立して、土地と建物を所有するというやり方が一番の近道だったんだと思います。それが協同組合を設立した一番の目的でした。
戎井 それが近年の法改正で、法人化のハードルがずいぶん下がりました。また医師会は会員からのお金を預かっているので、それを確実に保全することも法人化の大きな目的です。みなさんのご協力で比較的短い準備期間、1年ほどで法人化することができました。法律上の設立は2019年11月22日で、組織としての移行は、20年4月1日でした。新型コロナ感染拡大の最中での法人化となりましたね(笑)。
医師会活動も転換点
戎井 安井先生は、現在医師会副会長として、いろんな先生方とのお付き合いがあるかと思います。山科医師会の会員の気質について、どんな印象を持っていますか。
安井 最初に感じたことは、医師会に入会する際のハードル、壁がかなり低いということですね。入会しやすいんです。みんなウェルカムという雰囲気があるなあという印象を持ちました。
これまで理事などの役職を経験してきましたが、会員同士がフレンドリーな関係を保てているように感じています。発言もしやすいですし、居心地がよい医師会ですね。
ただし、最近は、医師会としての行事、懇親旅行とかゴルフコンペ、会員作品展といった催しがあっても、参加者が減っています。趣味を個人的に楽しむという傾向が強くなってきているんでしょうね。医師会としての活動は決して活発とは言えなくなってきているのではないかと感じています。会員作品展は私が入会した頃は、書、写真、絵画、それから工芸品と多彩な作品が出展され、入場者もホールが満員になるほど来られていたんですがね。
戎井 作品展は現状、安井先生の「個展」と化している状態ですね(笑)。これも世の中の流れでしょうかね。逆に言いますと、今風の付き合いということではうまくやっているんじゃないでしょうか。たとえば仕事を終えた後みんなでしょっちゅう飲み歩くという濃密な関係ではありませんが、集まれる時に集まって食事しようかとか、勉強会の後、ちょっと出かけようかとかということはよくあります。山科の会員さんはみんなよく勉強しますし、医師会役員の年齢層はだいたいみんな同じ50歳代ということもありますしね。また、開業して間もない、比較的若い会員の中に、医師会の活動に積極的に協力してくれる方がいるのも、今後期待できるかなと思っています。
モットーは「よく学び、よく遊び、かつ憩う」
戎井 時間になりました。最後に締めの言葉を1人ずつ話しましょう。
片岡 山科医師会初代会長の鈴木光次先生のモットーなんですが、「よく学び、よく遊び、かつ憩う」というのがあります。医師はまず患者さんを診療して、そのためには日々研鑽して、新しい医療状況に置いていかれることがないようにしないといけない。と同時に、ゴルフの好きな人はゴルフ、芸術が好きな人は芸術など余暇を充実させる。そして、「かつ憩う」というのはみんなで飲食などしながら情報交換して地区を盛り上げていくということです。これは今後も変わらず、とても必要なことだと思います。時代が変化してもこのモットーを維持した医師会であってほしいと思います。
安井 先ほどの「よく学び、よく遊び、かつ憩う」とは、会員医師が身体的にも精神的にも社会的にも健康、健全でなければ患者さんを健康にしてあげることもできない、ということを表しているのだと理解しています。今後もそういう山科医師会でありたいと思います。
戎井 山科には昔ながらの「お医者さん」がたくさんいました。しかし時代は変わり、自分の専門のことはわかるけど、それ以外のことは、社会のことも含めてあまりよくわからないという方も増えてきているように感じます。医師は病気を診ないといけないけれども、人も診ないといけません。そう考えると、医師は教養も身につけていかなくてはならないと思います。山科には、そういう意味ではとてもよい方々が多いので、お話ししていて吸収できることがいっぱいあります。交流活動もこれからますます盛んにしていきたいですね。本日はありがとうございました。