診察室よもやま話 第8回 熱中症  PDF

 今年は随分と暑い日が続く。
 その年も暑い日が続くお盆休みのことである。毎年、泊りがけの旅行に出かけることが多いのだが、その年は所用で遠出ができなかった。とは言っても休診期間中のことで、日帰りながら出かけていた。
 警察から電話があったと、自宅から携帯電話に連絡があった。無視する訳にもいかないので、地元の警察に電話を入れた。
 「先生に掛かっておられる患者さんが、戸外で倒れられたのです」
 「で、どんな様子なのですか」
 「押し車を押して歩いている途中で、いきなり倒れたのです。現場で目撃されていた方が、救急車を呼んだのです」
 「それで、助かったのですか」
 「近くの民間病院が引き受けてくれました。しかし、救急車が病院に到着した時には亡くなっておられました」
 「これまでの病状を知りたいのですよね」
 「いいえ、その病院では検案ができないというのです。検案してほしいのです」
 「警察医の先生に連絡されたのでしょうか」
 「この地区の警察医の先生は海外旅行中で、隣の地区にもあたったのですが、夏休み中で連絡がつかないのです」
 「………」
 「それで、遺体を警察で安置しています。お願いできないでしょうか」
 「仕方ないですね」
 「今、どこにおられますか。すぐに来ていただけますか」
 「急いでも二時間はかかりますが」
 「それでは、急いでお願いします」
 家族ぐるみで受診されている八十歳代の女性の患者さんで、かかりつけ医と思ってもらっている。そんな患者さんだからと思い、休日の楽しみを途中で返上して急いで帰ることとした。
 一人で押し車を押して歩いていて、歩道でバタッと倒れたらしい。自宅からは、それほど遠くないところで買い物に行った帰り道のことである。目撃者も複数あって、身元もすぐにわかったようである。目撃された方がすぐに救急車を呼び近くの病院に運んだそうだが、病院に到着した時にはすでに心肺停止状態であったらしい。
 急いで引き返すこととして、患者さんが安置されている警察に直行した。
 「先ほど電話があり、検死をしてほしいと頼まれて駆け付けた医師です。どちらに伺えばよいですか」
 「しばらく、お待ち下さい」
 遅い。人を呼び出しておきながら三十分は受付で待たされたであろうか。
 「そこの通路を通って裏庭の突き当りにある霊安室に行って下さい」
 待たされたあげく裏の霊安室に勝手に行けと言う。
 「先生は、心臓穿刺や後頭窩穿刺ができますか」
 「何回も検案の手伝いをしていますが」
 休日で遠くにいるのが分かっていて、すぐに帰って来いと呼び寄せながら、その態度にだんだんと腹が立ってきた。言い争っては大人げないと、自分に言い聞かせる。
 冷蔵庫の中から取り出された遺体は、間違いなく私の知っている患者さんであった。元気な時の患者さんを知っているだけに、悲しい思いがこみ上げてくる。
 高齢になると、体温調節機能が低下し暑さを感じにくくなる。そのため熱中症になると重症になりやすい。この患者さんのように死に至ることもある。どうして暑い日中に外出したのだろう。熱中症の指導が足りなかったことを悔やんでしまう。
 お葬式か通夜には参列しようと街角の告知板を注意していたのだが、告別式はほとんど一週間が経ってからであった。あとで葬儀屋さんから聞いた話では、警察から遺体が家族のもとに戻るには時間が掛かるそうである。
 血液や脳脊髄液の化学分析や事件性の判断で時間が掛かるのだとは思う。しかしできるだけ早く患者さんを家族のもとに帰してあげたいと思って、休日を返上して警察に急いで駆け付けたのは何だったのだろう。急いだ私のテンポが狂っていたのだと再度、自分に言い聞かせている。

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