診察室よもやま話 第7回 お腹痛  PDF

 今年は梅雨入りが遅かったせいか、いつまでもじめじめとした梅雨が続いている。ぎらぎらと照りつける太陽の季節は、もう少し先のようだ。暑い季節は高血圧などの慢性疾患以外はクーラーに当たりすぎて熱を出した夏風邪の患者さんが来られるだけで、診療所の暇なシーズンである。夏が診療所にとって暇な季節であるのは、夏に集中していた消化器系の感染性疾患が激減しているためである。
 それでも、夏の消化器感染症は忘れてはならない疾患である。暇な外来の時間に、そんなことを考えていて、ふと以前の食中毒騒ぎを思い出した。
 久しぶりにやってきたY子ちゃんのことである。
 「三日前から、お腹が痛くって」
 「下痢はないの」
 「お腹は下ってないけど、今朝もどしてしまって。しんどくって、しんどくって」
 「随分とお腹がゴロゴロ鳴っているね」
 「最近、暑くなったから冷たいものを飲み過ぎて、お腹を壊したんじゃないの」
 よくある胃腸炎かと思って診察していたのだが、その前日に、小児科のN先生が地域の子ども会旅行で食中毒が発生して、たくさんの患者さんが診察に訪れたと話されていたことを思い出した。
 「友達で、同じようなこと言っている子いない」
 「そういえば、となりのZ子ちゃんも、お腹が痛いって言っていました」
 「仲良しなの。一緒にどこかへ出かけなかったの」
 「この間の子ども会の旅行では一緒だったけど」
 「へえ、それで食事も一緒にしなかったの」
 「そのときは、お昼ご飯一緒に食べたけど」
 「で、どんな料理だったの」
 「トリ料理だよ。トリのお刺身とか…」
 「へえ、トリ刺し。それが、あたったのかな」
 どうもN先生の情報にあった食中毒事件に巻きこまれているらしい。この件は、すでに保健所に届けが出ていると聞いていたので気を揉むこともなかったが、N先生の情報がなければ、単なる胃腸炎で済ませたかもしれない。
 この事件は子ども会の親睦行事で鳥料理店を訪れ、鶏肉の刺し身などを食べた親子ら二十六人が下痢や腹痛などの症状を訴えたというものである。保健所の調査で、カンピロバクターが検出されたことから、同店の料理が原因の食中毒と断定されて、三日間の営業停止処分となっている。
 Y子ちゃんの便からも、カンピロバクターが検出された。
 この件はN先生の情報のおかげで、診断も簡単であったし、悩むこともなかった。しかし食中毒を疑っても、保健所に届けを出すべきか悩んでしまうのが常である。集団発生がはっきりしていれば食中毒としても、集団でなければ単なる胃腸炎ですませていたかもしれない。集団食中毒の患者さんを診る機会は少ない。しかし以前、ベロトキシンは陰性であったものの下痢の患者さんからO―157が検出された。いくら消化器感染症が減ったといっても、この季節に忘れてはならない疾患である。
 現在では衛生環境がよくなり食物も清潔となっている。したがって不衛生が原因の食中毒は減ってきている。それだけに現代人は免疫力がなく、無抵抗になっている。弱毒な病原菌でもすぐに感染してしまうので注意が必要だろう。これから、猛暑に向かう折、生ものには十分な注意が必要である。

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