第5回 診察室 よもやま話 老人の居場所  PDF

 急速な高齢化社会の出現はいろいろなひずみをもたらしている。私の診療所に来られる患者さんも、この十年ほどで老人が多くなった。ひとりで杖や押し車を用いて足を引きずりながら来られる方、家族に付き添われてこられる方とさまざまである。
 Nさんは、いつもひとりで来られる方であった。若い頃にご主人を戦争で亡くされていて勝気な性格の方だけあって、老人用の電気三輪車を運転して通院されていた。
 「先日、三輪車を運転されておられるのを見かけました。気をつけて下さいね」
 「息子からは、電気三輪車は危ないから止めるように言われているのですが、便利ですから」
 「それでも、バッテリーは息子が充電しておいてくれるのですよ」
 「いいですね。ひとりで出かけられるから、行動範囲が広くなりますね。でも暴走族はしないで下さいね」
 「とてもとても暴走族はできませんよ。大きな自動車が来たら小さくなって止まっています」
 「そうして下さい。どちらが悪くても、痛い目をするのはNさんですよ」
 若い頃に結核をされていて、少しのことでも息切れの強い方だから、電気三輪車はうってつけの道具であった。
 「家ではみんなよくしてくれます」
 「先日は、ひ孫が右足に乗ってきましてね。そのあと二、三日、足が痛くて往生しましたよ」
 「そうですか。たくさんのご家族でいいですね」
 「孫なんかおばあちゃんの誕生日だといって、プレゼントをくれるのですよ」
 二~三年前にケイレン発作を起こされ入院された。その時も息子さんから電話がかかってきて、入院の手配をして差し上げたのを覚えている。頭部CTでラクナー梗塞ということであった。大きなことにはならずに退院され、その後も外来に通院されておられた。
 「デイサービスに行くのが一番の楽しみです」
 「デイサービスでは、どんなことをされているのですか」
 「まあ、保育園みたいなものです。歌をうたったり折り紙をしたり。お風呂にも入ります」
 「いろいろな方と話ができるから、いいですね」
 「まあ、いろいろな方がおられます。わたしなんか、いい方です。手や足の動かない方もおられます」
 週に二回のデイサービスを楽しみにしておられた。昨年の夏には敷居で右膝を打って骨折された。次第に下肢の筋力が低下し、歩行時のふらつきや動作が鈍くなってきたようである。そのうえ、以前からの持病で視力の減退も著しくなっていたようである。
 三カ月前に来院された時には、デイサービスで発熱があって入浴できなかったとおっしゃっていた。その後は、来院されていなかった。
 これまで定期的に来院されていたNさんだけに、どうされたかと思っていたのだが、最近になって、息子さんからNさんが亡くなったとの連絡があった。よく聞いてみると自殺だとのことである。すごく気丈夫で明るかったNさんであっただけに、驚いてしまった。
 上野正彦氏は、ひとり暮しの老人よりも、三世代同居の老人の自殺率が高いという。「ひとり暮しであるから、寂しく孤独であるのではない。ひとり暮しは自分の城を持ち、訪れる身内や近所の人達と交際し、それなりに豊かなのである。むしろ同居の中で信頼する身内から理解されず、冷たく疎外されていることのわびしさが、老人にとって耐えられない孤独なのである」と述べている(『死体は生きている』 角川文庫)。
 Nさんはいつも家庭ではやさしくしてもらっているとおっしゃっていた。その言葉をどのようにとらえれば、よかったのであろうか。長年、受診されておられただけに、Nさんの心を察してあげることができなかったのが残念である。

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