続・記者の視点 93  PDF

否定・排除は逆効果である
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平

 川崎市の登戸で登校児童ら20人が殺傷された事件、そして東京・練馬で元農水省事務次官が長男を刺殺した事件。これらをめぐって、ひきこもりに焦点を当てる報道や論評が相次いでいる。
 登戸事件の容疑者は死んでしまい、はたして大勢を道連れにする“拡大自殺”を図ったのかどうかを含め、動機は簡単にわかりそうにない。
 元次官の長男は家庭内で暴力や暴言があったといい、登戸事件のように他人への加害に及ぶことを危惧したというが、現時点では父親の一方的な供述である。
 2つの事件の当事者はどちらも無業者だったが、ひきこもりというほどだったかどうかは明確ではない。まだわからないことが多い。
 ところが、「死にたいなら1人で死んでくれ」というテレビ番組出演者のコメント、「人間が生まれてくる中で不良品って何万個に1個、絶対これはしょうがない」というお笑い芸人のテレビ発言、さらに「息子殺しを僕は責められない」という橋下徹弁護士のネット論評などが続いた。
 居酒屋談議のレベルだと思う。そういった発言が公共の媒体で発信されるのは、社会の風潮としても、ひきこもりや無業の人たちへの影響という面でも、有害である。
 ひきこもりは、中高年を含めて全国で100万人を超すとみられる。たいへん深刻で規模の大きな問題だ。
 妄想、うつ、不安、強迫などの精神障害が関係することもあるが、学校でのいじめや職場での失敗体験から始まることも多い。したがって全体をひとくくりにして論じることはできないものの、おおむねの傾向として認識しておくべきことがいくつかある。
 第1に、ひきこもりの人たちが刑事事件を起こす率は極めて低い。あまり外へ出ないのだから当然である。
 第2に、好きでひきこもっている人、今のままでよいと思っている人はまずいない。外へ出たくても出られない、コンビニぐらいは行けても社会や仕事にかかわれない。家族が困っているだけでなく、本人がとても困っている。
 第3に、自信がなく、他者からどう見られるかを非常に気にする。他者からの視線や評価を恐れている。他者の物差しでしか自分を評価できないので、自己肯定感が低い。
 第4に、自分自身への不全感、あるいは境遇への不遇感を抱いていることが多い。つらいので、家族にいらだちや怒りをぶつけることもある。
 支援の方法は、まだ手探り状態に近いが、脱出して社会生活を送っている人、就労している人もけっこういる。
 その人を認め、肯定するアプローチが肝心だと筆者は考える。人の温かみを感じる体験、小さな成功体験を積み重ねる中で、自己肯定感を高めていくことが大事だろう。
 ひきこもりや無業の人たちを否定して責め、危険視して排除を図る言動は、当事者の自己肯定感を下げ、解決を妨げる。苦悩や焦り、世間への反感が強まり、かえって暴発につながるかもしれない。
 自分たちだけで抱え込んで苦しんでいる家族をよけいに孤立させることにもなる。
 まるで逆効果である。

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