元号が平成から令和に変わった。これを機に平成の30年間を医療という視点からふり返ってみたい。
平成が始まったのは1989年である。直後にバブルが崩壊して日本経済が深刻な景気後退を経験した時期にあたり、細川内閣の誕生へとつながった。その後、自民党の橋本内閣が誕生し、本格的な新自由主義的政策へ舵を切る。消費税は3%から5%へ引き上げられた。
この時期に医療制度に対する構造改革の方向も基礎づけられた。1950年に出された社会保障制度審議会の勧告は、憲法に基づいて権利としての社会保障整備を打ち出し、国民皆保険制度を誕生させる契機となったが、これが大きく転換されたのが95年に出された勧告である。
そこでは「社会保障制度は、みんなのためにみんなでつくり、みんなで支えていくものとして、21世紀の社会連帯のあかしとしなければならない。これこそ今日における、そして21世紀における社会保障の基本理念である」と強調した。国民の基本的な権利としてではなく、社会保障を自助と共助によって実現することを新たな方向としたのである。理由は高齢化社会の到来対策、老人医療費などの社会保障費の増加を抑制することであった。
21世紀になると、小泉構造改革の名のもとに新自由主義的施策が強行されるようになる。06年の診療報酬改定がマイナス3・16%であったことはその象徴である。副作用は大きく、非正規雇用が正規雇用を上回り、格差と貧困が広がった。医療崩壊や年越し派遣村が社会現象となった。
このためリーマンショックを経て政権交代が起こり、民主党政権が誕生した。しかし明確な政策転換が果たせず3年後に現在の安倍政権の発足となったのである。その後中国のGDPは日本の3倍となるなど世界は大きく変化しつつあるが、政府は対応できていない。アベノミクスの三本の矢は的を外し続けている。
私たちの生活にはスマートフォンが奥深くまで入り込み、体が、とりわけ脳がその一部と一体化しているかのように錯覚する時代である。人工知能は瞬く間に社会に膾炙
かいしゃ
し、政府は問題を解決するための政策を人工知能に期待することを隠さない。経済成長のために個人情報保護法の呪縛を払いのけようと次世代医療基盤法を作り、医療丸ごと成長政策へ投入しようとしている。スマート社会(Society5.0)を実現すると言えば聞こえがよく、国民を駆り立てているかのようだ。政権に対する批判をデジタルで切り捨てるかのようである。
国の主人公は国民である。それゆえに日本国憲法は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(第十二条)とし、政府にはさまざまな義務を課している。個人の尊重、平和的生存権などはその重要な中身である。思考停止に陥ることなく、問題を提起し運動していくことが重要である。保険医協会の存在意義と言っても過言ではないだろう。よりよい医療と医業を目指す立場から、個別の政策から対抗構想としての社会保障基本法と新福祉国家構想まで精力的に発信していきたい。
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