ふたりの娘さんが80歳代の父親Sさんをつれて診察室に入って来られた。初めて来院された方である。Sさんは杖を突いておられるものの、しっかりした足取りである。
娘さんが話を切り出された。
「実は、母が入院中で、今度、老人病院に転院するのです」
「はあ、お父様の奥さんのことですね」
「それで、父が一人暮らしになるのです」
「娘さんは、一緒に暮らされていないのですか」
「いいえ、私は大阪で、妹は海外で暮らしているのです」
「いま、お母さんが入院中でしょ。今もお父様は一人暮らしじゃないのですか」
「そうなのですが」
どうも、要領を得ない。
「で、今日、来院された目的は何なのですか」
「ケアマネジャーに往診してくれる医師を探しておくようにと言われたのです。先生、往診してもらえますか」
「往診と言ったって。見たところお父さんは一人で歩いておられるし、往診の必要はないでしょ」
「そうなのですが」
「Sさん、これまで病院には掛かっていないのですか」
「私は近くのM先生に診てもらっています」
「これが今飲まれているお薬ですね。M先生には通われているのですか」
「自宅の近くなので、二週間に一度ですが歩いて行きます」
「今日、こちらを受診されたのは、どうしてですか」
「娘たちに連れてこられたのです」
M先生とは医師会の会合でしばしば顔を合わす。患者さんとトラブルを起こすようには思えない。
「M先生との間でトラブルがあったのですか」
「いいえ、父には黙っていたのですが、ケアマネジャーがM先生は往診してくれないから、医者を替れと言われたのです」
「だって、お父様は、お一人で歩けるし、今のところ往診の必要はないじゃないですか」
「そうですよね。でも、急に悪くなったときに困るって言われたのです」
「でもね、急に倒れた時には、救急車を呼ぶなどして病院に行くべきですよ。心筋梗塞や脳梗塞でも、早く救急外来に行けば生命の助かる時代ですよ」
「でも、誰が救急車を呼ぶのですか」
「それは私が往診しても同じではないですか。介護サービスは利用されてないのですか」
「朝と夕にヘルパーさんに来てもらって、食事の準備やインスリンの自己注射の見守りをしてもらっています」
「だったら、ヘルパーさんが具合の悪くなったお父様を見つけて連絡してくれるでしょ」
「そうですよね」
「誰のことを話しているのだ。俺のことか家内のことか」
途中からSさんは、すぐにでも自分が倒れるようなことを話されているのが気になるようである。
「Sさん、お風呂はどうされているのですか」
「自分で入っています」
「だから、困るのです。お風呂で倒れたりして」
「そうですよね。お風呂は怖いですね」
「なんとか言って下さい」
「Sさん、お風呂はデイサービスで入るか、ヘルパーさんが来ている時にされたら如何ですか」
どうも、娘さん二人が一人暮らしのお父さんが心配で、デイサービスやショートステイを利用させたいようである。
「でも、往診が」
「だからね、急に倒れた時は緊急入院するより他ないでしょ。その後の退院時には、お母様のように老人病院に移るか、介護施設に移るか考えたらどうですか」
「そうは言っても、ケアマネジャーが」
「自宅で寝たきりになるようなら、その時に、改めてM先生にお頼みすればよいではないですか。そのような時には、M先生は絶対に往診をしないとはおっしゃいませんよ」
いやはや、診察をしているのやら介護相談をしているのやら分からない診察となってしまった。ケアマネジャーにどのような事情があるのかは分からないが、長年にわたって診てもらっているかかりつけ医を一方的に替れというのは無体な話である。
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