医療安全対策部会
宇田 憲司
日常臨床の現場において医師・医療従事者は、傷病者への診断・治療・管理など疾病・外傷からの回復を目的に医療労働を提供し、国民の健康増進に貢献している。しかし当今、特に医師の密度はOECD加盟諸国の中で低く、医師不足や看護師不足の状況にある。医療労働資源の需給の不均衡は、医師・医療従事者の労働の長時間化を以て賄われ、過労死・過労自殺問題や、時間外労働賃金の請求問題等をみる。そこで、長時間労働等に関連して生じた代表的訴訟事例を紹介する。
麻酔科医師男訴外Aは、転勤して1994年7月1日からY府立病院麻酔科に勤務開始し、96年3月5日午前5時ころ、自宅での死亡(33歳)が発見された。監察医の死体検案書では、直接死因欄:急性心機能不全、原因欄:特発性心筋症とされた。地方公務員災害補償基金は、業務起因性を否定し、簡易裁判所での調停は不調に終わった。母Xは、過重労働による業務起因性と事業主の安全配慮義務違反を根拠にY府に1億5392万余円の支払いを求め04年提訴した。
裁判所は、Aの労働状況を以下のように認めた。すなわち、手術を受ける患者への術中麻酔管理や術前・術後の診察、集中治療室での治療等を実施した。勤務形態は、①通常勤務(午前9時から午後5時45分まで)②宿直(当直:午後5時45分から翌朝9時まで、月4回程度)③日直(休日等の通常勤務時間、月2回程度)④重症当直(重症患者に対応するための勤務時間外までの勤務:月1回程度)⑤オンコール(緊急呼び出しへの待機、月4~6回程度)であった。また、通常勤務にAは、自発的に午前8時までに出勤し、午後9時ころまで勤務した。
業務起因性の有無の判断は、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く)認定基準について」(2001・12・12基発1063)の「①発症直前から前日までの間に異常な出来事に遭遇、②発症に近接した時期(概ね1週間)に特に過重な業務に就労、③発症前に長期にわたって、著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に就労」したか否かが検討された。①死亡前日のICUでの集中治療は、Aの性格や業務への姿勢を考慮し、責任感の強さや完璧な治療への思い等から精神的に大きなストレスを負荷する状態とみる余地があり、②死亡前1週間の時間外労働は21時間15分、総麻酔時間25時間15分(麻酔時間1時間30分の予定手術後の同9時間20分の緊急手術を含む)、前週は同じく21時間15分と「特に過重な業務」で、③時間外労働は、死亡前1カ月は107時間15分、前3カ月の平均は103時間15分、前6カ月では116時間7分で、著しく疲労蓄積する特に過重な業務と認定され、また、研究活動の負担を含めて麻酔業務の過重性が認定された。Y府の安全配慮義務違反を認め、Aの研究活動の負担や業務への姿勢・行動の寄与を1割として過失相殺し、1億692万余円の支払いをYに命じた(大阪地判平19・3・30)。Y府は控訴し、Aの寄与度を35%に変更して7744万余円に減額された(大阪高判平20・3・27)。
医師が長時間労働を強いられてきた原因は、その根底に我が国の全国的な、医療労働資源の需給の不均衡として医師の絶対数の不足があり、この問題の認識なしには、根本的な解決の提案は困難である。医師の業務を「聖職」と美化して、それを倫理的根拠に無制限な時間外の医学・医療労働と、患者への「滅私奉公」を強いるものであってはならないのは、当然である。まずは、タイムカード等を用いて労働時間管理を厳密にして医療労働現場の状態を客観的に国民に報知し、懲戒処分取消請求訴訟(東京地判平11・4・15)でのストライキをも視野に入れ、適正化への理解を求める必要がある。