近年、学園紛争時代に比して国家権力が強まり憂慮すべき事態である。
政府与党のやりたい放題の政治の私物化、他方民間企業に対しては厳しい規制。政治家が恐れる大手メディアを走狗として使う。そしてその政治家を逮捕・起訴し、有罪にして刑務所に送り込む。検察は現代日本の最強国家権力である。メディアがその時代・その時の最強の国家権力の走狗となる実例は古今東西枚挙に暇がないが、医師や医学系研究者が最強国家権力の意向に従って「業績」を上げた事例も決して稀ではない。
その代表格が、法医学者古畑種基氏(1891―1975)である。彼は、23年32歳の若さで旧制金沢医科大学法医学教授となり36年には東京大学教授、47年学士院会員、56年には文化勲章を受章した、日本で最も有名な法医学者である。しかし彼の死後、その輝かしい経歴は完全に暗転した。77年弘前事件(那須事件)(確定判決53年、懲役15年)、84年財田川事件(確定判決57年、死刑)と松山事件(確定判決60年、死刑)、89年島田事件(確定判決60年、死刑)と、彼が鑑定を行った四つの殺人事件が、いずれも冤罪だったことが彼の死後にようやく認められた。同様のことは未熟なDNA鑑定や科警研捏造鑑定により、延々と引き継がれている。77年に弘前事件の再審で古畑の鑑定がでっち上げだったことが判明した後、岩波書店は古畑の『法医学の話』を絶版にした。私が大学2年の時だった。幸い私は大学図書館で読むことができたが、一般市民は古本でしか入手できなくなった。国家権力が市民に対して是非とも忘れてもらいたいと願っている本を絶版に留めておくことは、市民への敵対行為に他ならない。裏を返せば『法医学の話』の復刻は、裁判に対する一般市民のリテラシー向上に大きく貢献するのだ。そういう 地道な努力を怠っている限り、自分たちと国家権力との利益相反問題について、法医学者達は100年でも200年でも沈黙を保ち続け、御用学者達が専横を極める中世裁判が延々と繰り返されていくのだろう。
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