思想や国を越え連帯を
片岡 卓三(乙訓)
戦 争
今年(2018年)11月11日、第一次世界大戦が百年前のこの日に終わったことを記念し、パリで式典が催された。
第一次世界大戦はそれまで人・馬、大砲で戦われていた戦争を一変させた。毒ガスが使われ、機関銃・戦車・潜水艦・飛行機といった近代兵器が次々と登場し、大量殺戮・大量破壊が行われた。欧州では当時この戦争が4年以上にわたる悲惨なものになるとは、誰も考えていなかったと言われている。兵士の死者は900万人、負傷者は2000万人にのぼった。欧州に限っていえば、第二次世界大戦をはるかに上回る犠牲者数である。
翻って現在の世界をみてみよう。2001年9月11日「同時多発テロ事件」がアメリカで起こった。「テロ」に怒ったアメリカは多国籍軍を組織し、アフガニスタンに侵攻、次いで「大量破壊兵器の存在」を口実にイラクを攻めている。その後、イラクには「大量破壊兵器」が存在しないことが判明した。にもかかわらず戦争は終わらず、現在に至っている。今もなお多くの死傷者を出し、人々の精神に深い傷を負わし、中東・欧州に大量の難民をもたらしたこの戦争とはいったい何であったか。私は問い続けなければならないと思う。
憲法と排外主義
排外主義が世界を徘徊しはじめている。分断と差別の果ては、憎悪と破壊しかもたらさないことがわかっていても、それを我々が克服するのは容易なことではない。誰もが自分の中に持っている厄介な代物だから。
戦争は、排外主義を生み出す最たる出来事である。逆もしかりである。戦争は、起こさせないようにすることが大切である。そのためには思想や国の違いを越え、人々が連帯することが大変重要だ。憲法9条は、第二次世界大戦で亡くなった人々が作らせた戦争放棄の「言の葉」であると私は思っている。
昨今、日本の指導者たちの言動を見ていると、憲法9条が戦争への抑止になるとは思うものの、不安が頭をよぎるのは私だけだろうか。戦争を防止するには憲法前文の主旨を踏まえ、アジアの人々と交流を通じて互いの理解を深めることが最も大切である。また、日本の指導者達には誤った考えを抱かせないよう、絶えず我々の意志を表示し続けなければならない。空疎な「愛国」主義ではなく、ヒューマニズムの精神こそ大切である。
先の戦争では京都からも大勢の人々が、最も無謀と言われた「インパール作戦」に参加している。ビルマで敗戦を迎え帰ってきた亡き父を思いながら、この文章を書いたことを記しておきたい。