憲法を考えるために59 憲法と戦後  PDF

 「われわれは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。この憲法前文は、戦争の記憶が社会に広く共有されていた頃には、今と比べものにならないほど鮮烈な響きを持っていたに違いない。
 ヒロシマ・ナガサキののち、原爆の使用を阻止したさまざまな力の中で、多くのヒバクシャの時を超え世界へ向けた言葉が大きな力であったことに疑う余地はない。しかし今、その経験、思いを語ることのできる人々は減少の一途だ。そして後世へ、その経験、思いを伝え残す知恵と努力が喫緊の課題として私たちに課せられている。
 そしてそれはまた、日本、アジアで繰り広げられた戦争についても同じである。現憲法がその戦渦をくぐり抜けたところから生まれたとすれば、その憲法を守るには、その背景を忘れてはなぜ守るのかが希薄になり、守ることは困難になっていくだろう。私たちにはなぜ戦争が起こってしまったのか、そしてその実態はいかなるものであったか、それに思いをはせて次の世代に伝える努力が課せられている。しかし、現今の社会状況を見るにつけ、それが希薄化しているように思えてならない。誰かがその忘却を望み、誰もが忘れたがっているのだろうか。日本の多くの中学生は日本と米英が戦争していたと知らず、真珠湾攻撃は三重県のことと思っていたとのエピソードもあり、大学生も似たようなものとのこと。同じ敗戦国で、戦争責任への対処が日本と大きな隔たりがあるといわれるドイツでは、高校生は歴史の授業で、第2次世界大戦について丸1年間学ぶそうだ。
 どう対処するのか。ヒバクに関して記録は学術的な枠組みを持つことが大切と聴いたことがある。またヒバクにしても、戦争にしても体験者がいなくなれば、追体験し、そこから学ぶ必要があるだろう。そしてそのためには、教育の重要性とともに、知恵と工夫も求められると思う。例えささやかでも、あきらめてしまったら、憲法の持つ理念を失ってしまうだろう。補足だが、最近では福島原発事故が矮小化され葬られようとしているように思えてならない。
 憲法第12条「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」
(政策部会・飯田 哲夫)

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