そして今日、何が起きているのか。
大きな転機となったのは1997年の京都駅ビル再開発である。
京都市はさまざまな手法を使って規制緩和を強行した挙句、巨大駅ビルに伊勢丹を参入させた。京都の入口は東京資本の巨大マーケットと化し、新たな開発の道をひらいた。その後、JRによるホテルグランヴィア、鉄道博物館・新駅建設、パチンコ京一の松原興産の土地に高級ホテル建設と京都駅周辺は猛烈に変化している。これらに参入するのは京都資本ではなくJRや京阪といった鉄道、土地、金融資本である。
「京都財界」はグローバル化によっての地域の産業・商業政策の重要性が低下し関心を持たなくなった。京都市も長期的産業・経済政策を持たなくなった。その間隙を縫って東京・大阪等の資本が参入し、無法地帯の様相を呈しているのが現状である。その中で現市長は確固とした京都論、政策を欠いたまま、ひたすら観光集客、宿泊室確保を目指している。
それでは役所の中の政策決定の仕組みはどうなっているのか。
かつての京都市幹部は、京都財界との関係を重視し、その要請に対応して政策を立案し、展開できる能力を持つ人材を育成してきたがそれは崩れた。重要な役割を果たすのが副市長だが、今では市長が自分好みの人間を従えているように思える。イベントや事業には熱心だが、民生・労働・経済・中小企業などの政策に関心がない。京都市政が市長の選挙公約実現にだけ没頭し、集客観光事業・規制緩和・民営化、委託化が推進されている。
だが市政トップがそうした情況であっても、下から積み上げる政策の伝統が失われているわけではないと考えている。局長・部長クラスには問題意識のある職員も多い。そうしたメンバーとの懇談機会を何度も積み重ねることは、運動的に大きな意味があるのではないか。
京都自治体問題研究所事務局長
池田 豊 氏
略歴●京都自治体問題研究所 副理事長・事務局長、元NPOねっとわーく京都理事長、元京都自治労連委員長、元京都市職員労働組合委員長