対人スキルの悩ましさ
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平
自己啓発本を読んでいると、自己嫌悪になる。
ちょっと必要があって、いろいろな自己啓発本に目を通している。なかでも対人関係に関する本はたくさん出ている。「人に好かれる話し方」とか「上手な物の言い方」とか「誰からも好かれる方法」とか。そんなタイトルで本を書ける人は、どれほど自信があるのだろうと恐れ入る。
とはいえ、内容は、もっともなことが多い。
スムーズな会話で良い関係を作るには、まず聴くことが大事。相手の名前を呼び、相づちを打とう、相手の発した言葉を繰り返すのもいい。
人は誰でも自分を認めてほしいから、相手の話を否定しないよう心がけよう。マイナスの言葉遣いを避け、プラスの表現を使おう。
話の内容以上に非言語のコミュニケーションが印象を左右するから、視線、姿勢、表情、口調に気を配り、身ぶり手ぶりも交えよう。
何かを頼むときは、相手を立て、相手のメリットになるような言い方をしよう。押し付けずに相手に選択権を持たせよう。意見をはっきり言うことは大事だが、相手を尊重する言葉を添えよう……。
確かになあ、そうだよなあと感じる。そういえば、あの時の言い方はまずかったなあ、あの時も失敗したなあ、別の物言いをしたら、うまくいったかもなあ……。自分の過去を振り返ると、後悔することがいっぱい浮かんできて、気分が沈むわけだ。
学生の就職活動で、企業側が求めるものは、専門知識や思考能力より「コミュニケーション能力」が多い。では、コミュニケーション能力とは何なのか。理解力、表現力、説明力などの総体なのか、会話を中心にした対人関係のスキルなのか。
対人スキルの高低はしばしば、人格(人柄)と同一視される。人間関係に価値を置く器用な人は得をする。中身が良くても、対人スキルが低いと損をする。発達障害の傾向があれば、なおさらだ。
そんなに重要なら、小中高校、大学、あるいは職場の研修などを通じて、ちゃんと教えるべきではなかろうか。
近年はアクティブ・ラーニングが強調され、議論や発表をする機会が、少ないながら増えつつあるが、対人スキルの教育訓練は乏しい。
他者とのかかわり方を知る機会を、不器用な人にも提供したほうがいい。人格や道徳やマナーの問題ではなく、あくまでもスキルとして。
悩ましいのは日本の場合、対人スキルの知識を広めるほど、同調圧力が強まって個性を封じかねないことだ。異論や批判を聞くと気分を害する人が多く、学会・研究会でさえ、率直な発言をしにくい。
そこで、対人スキルの中でも自分の考えを伝える技術、自己主張の技術を重視したほうがいいと思うのだが、それと協調性がどこまで両立するものか、よくわからない。
研究や芸術で高度なことを成し遂げた人々の中には変人が少なくない。対人スキルを覚えて摩擦を減らすほうがよいのか、そんなことより自分の関心事に力を注ぎ、独自性に磨きをかけるほうがよいのか、凡人は悩んでしまう。