さて、法案は「生活困窮者に対する包括的な支援体制の強化」を打ち出し、自立相談支援事業・就労準備支援事業・家計改善支援事業の一体的実施の促進を盛り込む。子どもの学習支援事業や居宅支援の強化、保護受給世帯の子どもたちが大学等に進学する際の一時金創設等、前進と受け取れる側面もある。だが、「生活困窮者の尊厳の保持」を謳いながらも、その根底にある人間観・国民観に対し違和感を覚える。
「自立」という言葉は、とりわけ社会福祉分野で国が頻用している。だがその「自立」は、障害者福祉サービスや介護保険制度でも顕著に表れているように、公的な福祉サービスに頼らない状態のことを指しているに過ぎない。福祉を受給すれば自立していない、受給しなければ自立しているというのは、あまりに貧弱な思想である。しかしそれは敢えて強調され、費用抑制に役立てられている。
貧困や疾病、障害等によって人としての権利を侵害されている対象者がいて、福祉サービスが人としての権利を保障する。それが社会福祉の原理のはずである。それを見失い、貧弱な自立論に拠って行政がなされることで、保護打ち切りや生活保護申請をためらうことによる餓死事件は繰り返されているのではないか。
日本の生活保護捕捉率は15・3%~18%と低く(日本弁護士会「生活保護Q&Aパンフレット」2010年)、生活保護受給が可能な世帯の8割以上が制度からこぼれ落ちている。2018年10月から法改正と同時に実施されようとしている生活保護基準の見直しは、所得下位10%層(第1・十分位層)と均衡させる方式が採用される。低所得層であっても保護受給していないことを「自立」と見做し、「自立」した低所得層にあわせて保護基準を見直すこと自体に、保護受給者に対する差別意識と貧弱な自立論が表れている。
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