エッセイ 無駄な公共工事の全廃を  PDF

西村 茂(福知山)

 盆暮れや年度末の公共工事の多さには大多数の国民がうんざりしており、約9割の国民はその理由を知っています。盆暮れの場合は失対事業としての性格もあり、生活困窮者への賞与的な面があります。暑さ寒さの厳しい中で汗と埃にまみれた除草作業の人達は本当にご苦労なことで、交通渋滞も何とか我慢できます。
 許し難いのは年度末の不要不急の公共工事の数々で、全国の市町村で同様の光景が繰り広げられています。日本の予算システムは年度内使い切りが原則で、同年度内に事業を完遂しておかないと次年度の関連予算が減額されます。どうしても使い切れない場合は埋蔵金などの裏金になり、帳薄上の収支を合わせているのではないかと、国民の大多数が苦々しく思っています。
 こまごました些細な工事の中にも長年放置されていた懸案のものがあることもあり、このような機会でもなければ永久に放置されてしまう有難い事業もあります。しかし、大半はそんなに傷んでもいない道路や歩道を掘り返して大量の産業廃棄物をつくり出した上に、年度末の繁忙期に大渋滞をきたしています。雪国では降雪の少ない年には除雪費が余り、これに拍車がかかります。
 行政が一度決定したことは、順位が下位で遅れに遅れても機会があれば、強力な反対のない限り、必ず決行されます。戦時中の計画道路や河川改修が近年やっと整備された事例が、小生の近辺で相次ぎました。
 多くの識者がこの不条理を指摘しているにもかかわらず、この悪習は一向に改まりません。全国で億ないし兆の残余予算が毎年浪費されています。該年予算を使い残した場合、節減に対する報奨金を逆に交付するような制度は創れないものでしょうか。この問題に早く誰かが本気で取り組まないと、莫大な無駄使いが永久に続きます。諸外国の実情調査や代替案の提案も必要です。保険医協会で狼煙を上げて、国民運動に展開してはどうでしょうか。

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