受け継いだトロンボーン  PDF

山本 勇治(下京東部)

 開業医だった私の父親は、仕事以上に趣味のバイオリンやピアノ演奏、洋画などに親しみ、診察室には自分の描いた作品を飾り、バイオリンを弾く音もよく聞こえていた。世間の評価より、自分の人生を、生活を楽しむ自由人。そんな父の影響もあり、私も幼いころから音楽好きで、高校に入学するとさっそくブラスバンド部に入った。夢中になった楽器が、トロンボーン。柔らかいが響きわたる独特の音色や、スライドの動きに魅了されたのだ。
 母にねだり、十字屋でトロンボーンを買ってもらう。私物を持っているものは、部員の中でも私だけ。さらに贅沢なのは、京響のトロンボーン担当の楽団員に家庭教師として来てもらっていたことだ。月謝は5千円、当時としては高かっただろう。こうして、勉強よりも部活に明け暮れ、京都会館での第一回青少年ブラスバンドコンサートに出演し、スーザのマーチを演奏した。16歳のころだ。関西ブラスバンドコンサートで優勝したこともある。このまま好きな道に進めたら…と、夢に見たりもしたのだが、「音楽とは音を楽しむもの、趣味とするもの」――と、クラブの先輩で現役の京響楽団のファゴット奏者から諭された思い出がある。練習中には、当時の社会党委員長の浅沼稲次郎さんが演説中に右翼の青年に刺殺されるというショッキングな事件があり、身震いもした。もう55年も前のことだ。
 そんな若かりし日からの思い出の品で、今でも大切にしているのが、大学時代に受け継いだ年代物のトロンボーンだ。家庭教師だった京響団員から譲り受けたもので、もとは米軍の軍楽隊団員が使っていたものと聞いている。アメリカのトロンボーン専門メーカー、オールズ製で、ボディの輝きはいぶし銀のよう、音はとろけるように柔らかく、まさしく名器。今でも私の宝物だ。その楽器で府立医大のオーケストラにエキストラで出演し、ドボルザークの「新世界」を演奏したこともある。医師会コンサートには毎年出演し、ブラスバンドの友人とトロンボーンの二重奏をしたものだ。
 私の祖父である山本宣治は、宇治出身の代議士。治安維持法に国会でただ一人反対し、39歳の若さで暗殺された人物である。カナダで苦学し、帰国後は東大で学び、その後は同志社大や京大で産児制限を唱えた性科学者でもある。当時から、趣味でベートーベンやアマリリスを蓄音機で聞いていたという山宣が愛用していたレコードラックは、現在私の持ち物になっており、コレクションのレコードやCDがいっぱい入れてある。これも私の宝物だ。いまは年老いて音が出せずトロンボーンは吹けないが、1日の仕事が終わってワインを飲みながら、好きなデキシージャズやスイングジャズを聴く時間は至福の時。孫が大きくなってこのトロンボーンを吹いてくれたら…とわくわくしながら、今から楽しみにしている。

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