宇田 憲司(宇治久世)
去年の6月、我らが宇田家の菩提寺は京都市伏見区醍醐の浄土宗無量寿山西方寺の先代住職遷化(僧の他界)の連絡があり、私も檀信徒代表でお礼の言葉を述べることになった。大正15年寅年生まれで子年の私より2周り歳上で、享年87歳で他界した丑年生まれの母とは同級になる。享年92歳であれば、現今の男性としては大往生である。総本山知恩院をはじめ伏見教区からや法類の僧侶の参集も多く、鐘声・読経の声も賑々しく、荘厳な雰囲気であった。他の総代とともに通夜・葬儀参列者への挨拶役を分担し、頭の中では急きょまとめた文言を繰り返していた。葬儀の後、謝辞もつつがなく、京都市中央斎場東山浄園までご一緒して、荼毘に付す13時09分の点火まで見送った。
ところで、遺影の写真を見ると優しげな表情で爽やかな笑顔をされており申し分ないが、惜しむらくは、現住職晋山式での集合写真から引き伸ばされて、近付くと彩粒子が粗くみえた。古希も過ぎれば早い目に準備を怠らぬこととあるように、私もまだ満68歳であったが、早速散髪をして、近隣の写真館に赴いた。そこでは、菩提寺から貰った簡易首架け袈裟に真言宗用の数珠をかける予定であった。その数珠は、2015年10月17日(土)祇園石段下の祇園会館で京都一日先行上映の「医者先生」試写会時、すぐ傍の「京念珠ぜにや」で買い毎日かけていたが、折しも中紐が切れ修理依頼中で、三女の奈々絵からあずかった真珠の首飾りをその代用に使うことにした。子どもたちの成人後は、カメラも手にせず、自分の写真もなかなか撮れず、写真館にでも行く必要がある。プロの技はやはり確かで、その写真はなかなかに美しい。10年後にはまたジインとくるやとも知れぬと気に入り、額縁に入れ飾ってある(写真)。
こうして見ると、数珠代わりの真珠のネックレスか、ネックレス代わりの数珠か解らぬことになり、試写会と同じ頃に沖縄は国際通りの天然石・サンゴ・真珠・貴金属などを扱う平織装飾品店で買ったサンゴの腕輪をはめたり、そのすぐ年末年始に妻と行ったインド旅行で買ったトルコ石製腕輪やら、去年5月の連休に妻子と旅行した弘法大師の留学先は青龍寺で買った石の数珠を手首にはめたりすると、女性陣がネックレスやブローチやら指輪・腕輪などを身に付け着飾る気持ちが解るような気がして、その美しさに少しは目覚め始めたようである。繁華街を歩きながら、一人ではまだ心細いが、複数でいるとつい装飾品店に入ってみて、冷やかしに店員に質問してみたり、そんな楽しみを見つけた今日この頃である。
とにかく、最近の不況で客足減少から倒産せぬよう写真館の経営維持向上にも協力して、パスポート用の10年毎とは言わず、その間に1~2回、3~4年毎に、着飾りながら早い目に美しい「遺影」などを撮りに行こうではありませんか。
宇田憲司 満68歳男性、2017年9月24日(日) 宇治橋通りのサイトー写真館にて撮影。万が一の時にすぐ役立つが、まだその予定はない。