救急車が行けない家の往診  PDF

 吉田 私は日吉町の出身でそこで開業しています。父が急逝して帰ってきました。84年4月に、船井医師会に入会しました。一番近い先輩が仁丹先生です。しかも同窓で、ずいぶん心強い思いをしました。
 帰ってきた当初は、介護施設もありませんし、自宅で療養されている方が非常に多くおられました。それで往診がけっこうありましたね。日吉は冬は園部より雪が多く積もります。町から要請を受けて、雪で救急車が入れない山間部に歩いて往診に行ったこともありました。当時はずいぶん雪の中を往診に走り回っていたなあと思います。
 私が医師会に入会した頃、日吉町に明治鍼灸大学(現明治国際医療大学)の病院建設の計画が持ち上がっていました。当時は病院といえば南丹病院だけでした。その頃から比べると医療の状況はずいぶん変わりましたね。開業医も増え、それまでは地元出身の方が開業されるケースがほとんどだったと思いますが、他市出身の開業医も増えました。医療の状況はよくなってきているのではないでしょうか。
 ただし、平成の合併が行われて10年くらいになりますが、地域によっては事情が違います。美山町とも合併していますので、広大な地域の医療を市がカバーすることになりました。これはなかなか難しいことだと思います。次の世代にはこの問題に取り組まなければなりませんね。
 玄野 私は2003年に、こちらでクリニックを開業させていただきました。まだまだ新参者です。
 佐藤 私は1992年です。園部のこともほとんど知らないままやって来ました。当初、草刈機で目をケガした患者さんが来られたことがあります。当院では手術できるような状態ではなく、転送先の病院を探すのに苦労したことを覚えています。当時南丹病院ではまだ眼科の救急はやっていなかった頃です。府立医大も京大からも断られました。あちこち探してようやく滋賀医大で受けてもらえることになりました。それで消防署に搬送をお願いしたのですが、救急車は府外には出せないと一度断られました。頼み込んでようやく搬送してもらえることになったのですが、私も同乗してくれと言われ、滋賀医大まで一緒に行ったことがあります。夜の11時頃でした。
 私は学校の眼科の検診医をやっていて、美山町も回ります。美山は人口が少ない割には面積が府内で一番広い。大変ではありますが、景色がすばらしく、ドライブを楽しみながら毎年回らせてもらっています。

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