都市計画と保健事業 園部のまちづくりと私の関わり  PDF

6人の町長
 垣村 私は1957(昭和32)年に園部町に奉職し、40年の間、まちづくりに関わってきました。本日は、行政マンとして私が歩んできた道のりをお話させていただこうと思います。
 98年に退職するまで、私は計6人の町長と仕事をしてきたことになります。
 私が就職する2年前に、町は周辺の2村と合併していているのですが、当時の町長は西田長四郎さんです。西田銀行をつくった方で、この銀行はのちに園部銀行となり、京都銀行に統合されました。西田町長は私が奉職したその年の終わりには健康上の理由でお辞めになっています。
 2代目の町長である西田多四郎さんは学校の先生をされていました。この方もご高齢だったことから、1年半ほどで辞められました。
 そして3代目の町長が、みなさんご存じの野中広務さんです。野中さんは1951年から町会議員をされ、57年に町会議長になり、58年から66年までの8年間、町長を務められました。その後、府会議員となり、副知事もされ国会議員になられます。
 4代目の町長は、野々口源太郎さんです。元軍人でした。野々口さんは71年までの1期だけでした。
 5代目は、71年から79年までで、今井源一さんです。やはり元軍人です。
 6代目が、野中一二三かずみさんで、広務さんの弟です。本日会場の国際交流会館も、国際交流推進を目的に自治省のプロジェクト事業の指定を受けて、建設されたものです。当時、国からは、こういったお城のような建物はだめだと言われましたが、町長はこだわりを通して今のような建物をつくりました。野中さんは79年から2006年に南丹市になるまで、7期町長を務められました。私は98年に退職していますので、最後の8年間は関わっておりません。

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