荒天続きの週末を償うようなやわらかい陽射しの11月5日、協会は京都総合観光案内所の脇野博昭氏の引率で、臨済宗東福寺界隈を散策した。参加者は18人。以下に参加記を掲載する。
艶やかな尊顔の千手観音菩薩を拝む
福光 眞二(山科)
最初に訪れた法性寺は、間口の狭い民家のような小寺ながら、藤原氏の氏寺であった平安時代の創建当初は、奈良の興福寺と並ぶ伽藍を誇ったという。禅の潮流が盛んとなる鎌倉時代以降、その寺領を継いだ東福寺が今に続いている。この日は京都一円で催されていた非公開文化財特別公開として、初々しい担当女性の解説に頷きながら、仏像彫刻では珍しい27面様式の千手観音菩薩を拝む幸運に恵まれた。慈悲深く衆生に救済を差し伸べる千手と艶やかな尊顔が、来訪者を魅了したであろう。
栗棘庵(りっきょくあん)で昼食後、本坊に向かう途中に観光PR画像で有名な臥雲橋(がうんきょう)にさしかかった。橋廊の合間からの眺望は、深まりゆく秋に色褪せていく緑葉と階調豊かな紅葉がとりなす自然美に加え、樹間に隠れる通天橋が景観を引き締めている。水墨画にしても嵐峡にかかる渡月橋や法輪寺の塔もそうだが、山水に人工物を加える構図が、なにか日本的美意識を喚起するのではないだろうか。
僧の住まいである方丈に入る。昭和の造園家、重森三鈴が再興した四面の庭は、釈迦にちなんで“八相の庭”と呼ばれる。南は禅の精神が込められた質朴な枯山水、北や東にはモダンな雰囲気の市松模様や北斗七星に見立てた石柱など、多彩な空間を演出している。
山内は広い。臥雲橋とともに東福寺三名橋の通天橋、偃月橋(えんげつきょう)を通って、それぞれ開山堂(楼閣は伝衣閣(でんねかく)といい金閣、銀閣などと京の五閣と称される)、即宗院(薩摩藩士の菩提寺)を廻った。
南の一角には見上げるような建造物である三門、仏堂が、重量感の造形で威を保っている。これぞ東福寺が俗に“伽藍づら”と言われる所以である。
東司(とうす)(僧の便所だった室町時代の遺構)を右に見ながら六波羅門をぬけ、閑静な宅地に囲まれた光明院を訪れた。雲にみたてた築山、その上に位置する茶室の壁面に表現された月、そして枯山水の静寂で凛とした佇まいが禅風を語っている。陽の傾きとともに移ろう書院の軒からの眺めは、日本人の心の底に眠る文化意識を呼び覚ますのかもしれない。
秋の東福寺、文化ハイキングに相応しい実りある一日であった。