核兵器廃絶ネットワーク京都(事務局・反核京都医師の会)は3月8日、講演会「市民と自治体がひらく非核・平和への道」を京都市左京区で開催。100人の聴衆が耳を傾けた。
講演会が取り上げたのは、「核兵器廃絶」と「脱原発」という二つの市民運動の結び目の実践と思想である。キーワードとなったのが「新しい非核自治体宣言」構想である。
各市町村の入口あたりに「非核自治体宣言都市」と表示されているのを見ることがあるだろう。それは1980年代以降、急速に全国へ波及したものである。
米ソ冷戦・核軍拡競争の激化の中、少なくない世界の市民が人類の未来に不安を抱いた。「世界終末時計」も3分前を指し(1985年)、過去最高数の核弾頭が核兵器保有国に保持された時代である。
人々は核兵器廃絶運動に立ち上がり、その動きは私たちの生活の場である地域、地方自治体レベルからも核兵器なき世界を展望し、発信されるに至る。
こうして非核宣言自治体は今日、日本の自治体の実に約90%、約1600自治体にものぼることとなった。
「新しい非核自治体」は、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故の惨禍が自治体と住民に対して迫ることとなった、思想の転換と発展の必要性を形象化した構想といえる。
非核と脱原発の融合
これを最初に提唱した非核の政府を求める京都の会の常任世話人会代表・望田幸男氏(同志社大学名誉教授)はこう語っている。
「大地震に伴う福島第一原発事故の発生は、非核平和運動にとっても『激震』でした」「第二次世界大戦後、日本とドイツでは『戦後』というキーワードを軸に考えてきたが、今後は『震災後』という言葉がキーワードになっていくのではないか。大量生産・大量消費の高度経済成長を支える象徴とでもいうべき原発から脱却し、原発に頼らないライフスタイルを基調とした社会への転換をはからねばならない」。
地方自治体が非核都市を宣言し、核兵器のない世界を展望し、行動するのは、自治体が本来、住民の生命と人権を守ることに存在意義があるからだ。だとすれば、国策として喧伝され続けた「安全神話」や「平和利用神話」の崩壊を目の当たりした今日、自治体が核兵器とともに原発のない世界をめざし、宣言し行動することは、至極当然の話であるはずだ。3月8日の講演会は多摩市の阿部裕行市長を招いた。
市民とともに宣言=阿部多摩市長
多摩市は震災から8カ月後、非核宣言に脱原発を結ぶ非核平和都市宣言を採択した。それは市が一方的に宣言するのでなく、市民とともに作り上げたものだ。
多摩市は、宣言だけでは終わらず、そこに謳った「次の世代への平和の継承」をめざす実践に乗り出している。例えば「子ども被爆地派遣事業」は、毎年、広島あるいは長崎に子どもたちを派遣し、市長自らも赴くというものだ。さらに、再生可能エネルギーを自分たちでつくる取り組みも進めているという。
非核平和思想の実現を=藤原京大准教授
宣言だけでなく、実践する。そこに求められるのは、強靭な思想性である。
この日、2人目の講演者である京都大学人文研准教授の藤原辰史氏は「創造的な非核思想を求めて」をテーマに講演した。
藤原氏は、原発も核兵器も根っこはいっしょだ。言葉を使い分けているだけだ。それらから脱却するためには、自らの生活にも刃を向けねばならない時がある。自らの非核・平和思想が崩れないためには、人の痛みや傷跡を記憶する力が必要だ。「原発事故を『人の傷跡』として記憶しておく必要がある」と呼びかけた。