次の10年を見据えて 保険医新聞の来し方と役割と  PDF

歴代担当者による座談会 出席者

中路  裕(西京)1995年6月~1999年5月
名倉 良一(西京)1997年6月~1999年5月
内田 亮彦(下東)2000年6月~2003年5月
浜垣 誠司(中西)2003年6月~2007年5月
渡邉 賢治(西陣)2009年6月~2011年5月
吉村  陽(相楽)2011年6月~
辻  俊明(西陣)2016年6月~
事務局:浜松  章、二橋 芙紗子
渡邉 京都保険医新聞が3000号を迎えました。1949年(昭和24年)10月30日に「京都府保険医協会雑報」(謄写版)として創刊、翌50年12月1日の第12号から改題して「京都保険医新聞」(月刊)が発行されるようになりました。54年に月刊から旬刊になり、65年から週刊、2010年10月から月3回発行注に変更し、68年を経て今日を迎えたわけです。
500号ごとに記念座談会を開いてきましたが、2000号(1996年2月19日)以来行っていませんでしたので、ほぼ20年ぶりの開催となります。この20年、多くの方々のお力で発行を続けてこれましたが、本日は直接担当理事として携わった7人と事務局で進めていきたいと思います。

書くことに四苦八苦

渡邉 2000号当時、95年度から4年間担当された中路先生から、当時を振り返って印象的なことをお話しいただけますか。
中路 昔の保険医新聞を開くと、保険医運動が主で硬い内容ではあったけれど、私が理事になった頃はだんだん柔らかくなってきていた時代でした。眼科医会の会報も担当しており、会員に読んでもらわねばならないことは共通です。桂枝雀が言うように「緊張と緩和」が必要だと思いながらやっていました。
理事になると、「主張」「理事提言」の執筆が輪番で回ってきます。新聞担当はさらに「医界寸評」も担当します。これは今も執筆していますが、少しだけ医療にも触れながら、皆さんに読んでもらえるような柔らかい文章を心がけてきました。実はそれまで保険医新聞は読んでいませんでしたが、皆さんの文章を読んで勉強し、いい経験をしたと思います。おかげで60歳を機に、『ぼくの既往歴』という本にすることができました。
名倉 私は理事になる4年前から編集委員をやっていまして、どういった経緯で編集委員になったのかと事務局に訊かれたのですが、よく覚えていないんです。編集委員にというよりは「医界寸評」を書くように誘われたのだと思います。書けといわれて、以前の人のものを読むと、結構すごい内容なので、四苦八苦して徹夜で書いて推敲していました。やればやるほど他の人の文章も読むようになりました。同時に、伏見医師会の会報担当もしていたので、誤字脱字を見つけるのが得意になりました。
中路 人の文章を読んでいると、つい直したくなってくるんですよね。
内田 一般紙の見出しに駄目だししたり、つい編集者目線で見るようになりましたね。
中路 特に「医界寸評」は、548字という限られた字数ですので、どこを削るかを考える作業なんですよね。保険医新聞ではなかったけれど、眼科医会では添削しすぎて先輩に怒られたこともありました。本人の書いたものを尊重するのは基本ですね。
内田 理事として3年間担当しましたが、日々のちょっとした判断、記事の適否に追われてよくわからないうちに終わってしまったというのが実感です。それよりも皆さん同様に「医界寸評」の執筆がつらかったですね。2000号のDTP(Desktop publishing)化に伴って、A4判化を真剣に検討した時期もありましたが、新聞らしいかたちがいいという強いこだわりの方がいて、結局変えなかったのも印象深いですね。
浜垣 私は4年ほど担当しましたが、当時は開業医になりたての頃で、保険医新聞の課題としている開業医としての問題意識がどこかわからず、精神科なので内科や外科など医療の主流が見えにくい立場でした。思い出すのは、障害者自立支援法が2005年に成立して翌年施行されました。障害者福祉制度を国としても初めて裏付ける法律で意味はあったのだけれど、それまで個別に運営されていて公費負担されていたものが縮小されないかと危機感をもっていました。国は補助を削減するけれども自治体はまだどうするか決めていない中で、通院できなくなるのではと、多くの患者さんが不安がっていました。そこで、府内の自治体アンケートをまとめたり、この法律で今後どうなるといった企画を掲載したことで、精神科としてお手伝いできたかなという思いがあります。
渡邉 私は理事になって最初の2年間担当しました。当時は自分の診療所をまわすことに精一杯でしたので、理事になって初めて保険医運動に目が向くようになりました。新聞に書くにあたって、いろんな文章を読んで、現状把握に努めるようになりました。
吉村 理事になりたての頃は、執筆テーマに相当悩みましたが、意外と新聞を見ていない人が多いことに気づいて気が楽になりました。一つの文章を書くにも手間暇がかかりますが、そのうち、要領もよくなってきて、何とか締切に追われなくなりました。ほとんどの会員がそうでしょうけれど、保険医協会と医師会の区別がついていないと思います。私も理事会に参加するうちに違いがわかってきました。新聞には保険医協会のテーマが凝縮して入っています。何を今、京都の医師として注意していかなければならないかを、まとめの意味で見させてもらっています。
投稿についてはよほど根拠のない話であったり、社会的に表現がおかしいということ以外は、そのままを掲載しています。そのために、ある文章の表現について、他の先生から指摘があって問題となったこともありました。外部の方に書いてもらった原稿を巡って紙面上のやり取りがあったことも印象に残っています。
内田 紙面上で議論してもらえるのは、むしろありがたいことです。いろんな意見を交わしてこそ機関紙の役割が果たせるのだと思います。
辻 「医界寸評」は大変なわりに、よくまわってきて、ペンネームなので報われない気がします。政治的なことは興味のある人は読むだろうけれど、経営に直結することならともかく、詳細に伝えてもどこまで会員の興味あるかですよね。柔らかい記事をもう少し増やしてもいいし、いろいろな考え方や話題があればおもしろくなるでしょう。

投稿してもらうために

渡邉 いかにして読んでもらうか、投稿してもらえるかは永遠のテーマだと思いますが、いかがでしょう。
吉村 読んでもらうためには、原稿を載せてもらうことが先決だと思いますので、何とか投稿してもらう雰囲気をつくることを心がけています。自分が参加しないことには読まないと思う。それが課題ですね。
名倉 1回載せてもらったら、今度は人がどういうことを書いているか読みますからね。
渡邉 通常号でも会員投稿欄として「広場」がありますし、新たに「私のすすめる○○」という欄もつくりました。趣味や本、映画の紹介まで割とハードルの低いコーナーだと思いますが、こちらから働きかけないと投稿は難しいですね。
名倉 「文芸欄」はよく読んでいたので、詩や俳句がなくなったのは寂しい。あれは選者のセンスに負うところが大きかったですが。
内田 「文芸欄」は2010年まで約20年続いて、毎号投稿いただいていたのですが、惜しまれながら終了しました。短歌、詩、俳句にそれぞれ優れた選者が会員の中に揃っていた時期だからこそできたんだと思います。
中路 もし復活して、選者が選んでくれるなら、短歌や俳句を投稿したいですね。
吉村 関心のないものに興味を惹かせるためには、解説、批評がないとわからないし、おもしろくない。わかりにくい医療情勢をマンガで解説すれば関心もわくかもしれません。
渡邉 以前は1面に、京都新聞にも描いていたプロによる「マンガ」(2010年まで30年掲載)があって、なくなったときは寂しい気もしたけれども。ああいうのもあっていいのでは。
名倉 風刺マンガは結構アピール力がありました。
辻 投稿するのに抵抗を感じる会員は多いでしょう。もともと興味のない方もいらっしゃいますが、どんな内容を書けばいいのかとか、こんなことを書いてもいいのだろうかと思ったりします。どんな内容でも、ささいな日常生活の話題でもよいので、皆さんが感じたままを書いていただければ楽しくなります。一度投稿すればまたしたくなるし、他の人の文章も読みたくなります。新しい世界が広がります。

会員アクセスと新聞

名倉 医療安全対策に関しては、常に関心をもってもらうため、トラブル対処法などの連載を2000年から絶えず掲載しています。いざトラブルに遭った方はうろたえてしまい、慌てなくてもいいですよと言うと冷静になってもらえます。真面目な方ほどどうしたらいいかわからず相談に来られます。そういうときに、読んでもらえるといいと思っています。まとめて冊子化したものも活用いただいています。
辻 そういうことを協会に相談すればいいということを、知らない会員も多いと思います。今はインターネットでさまざまな情報が入ってきます。新聞情報はネット情報とは違って、人と人との肌に触れる情報が得られるというすみ分けをすればいいと思います。
協会が目指すのは各会員と向き合って、困ったときには駆けつけますよという温かい付き合いですので、それを分かってもらえれば協会の価値が高まると思います。フェイス・トゥ・フェイスの関係です。
吉村 例えば保険請求関係の問い合わせがあったときに、この件はグリーンペーパーあるいは保険医新聞のどこに書いてましたよと言えば、ならば見なければいかんなと、保存しておこうと思うでしょう。
そのような次につながるようなことも必要だと思います。今はネット上でも見ることができるので、そこを見て下さいでもいい。

多才な会員連載

渡邉 最終面に会員の連載が続いているのも保険医新聞の伝統で、それをまとめて出版する方も多くおられます。
名倉 俵良裕先生の「蘭鋳亭芝居雑話」で、歌舞伎の裏話を読んで歌舞伎が好きになりました。谷口謙先生の「漂萍ひょうへいの記」も、時代と田舎の風景が浮かぶような日常生活を綴られていて、懐かしいような気持ちで読めました。タイトルの意味がずっと疑問でしたが。吉中丈志先生の「見つめ直そうWork Health」もデータが結構すごいんですよ。連載は大変だと思います。
二橋 「漂萍」という熟語はないようですが、漂はただよう、萍は浮き草という意だそうです。
浜松 先日、他県の先生から「蘭鋳亭芝居雑話」を改めて読みたいという問い合わせをいただき、20年近くたってるのにすごいなと思いました。協会には取り置き用しかなくて、本の出版元も在庫切れで、幸いネット通販に出品されていたものを紹介しました。
名倉 連載するときは、ある程度書き溜めて始めるんでしょうかね。
浜松 それぞれでしょうが、たいていの方は、ストックされずに一つ書いては、次を書くというようなスタイルだったように思います。谷口先生に「漂萍の記」の「続々」を依頼したときは、高齢だからといったん固辞されたのですが、いざ始めると、「補遺」も含め98話となっていました。
名倉 事務局も書けるんじゃないの。歴代理事の裏話とか編集の苦労話とか。
浜松 長い間関わってきましたのでね。2000号でDTPに切り替えるまでは、アナログな手作業の部分が大半で、しかも週刊でしたので、編集スケジュールはかなりタイトでした。手書きの原稿字数を数えて、見出しの書体と大きさを指定して、割り付け用紙に何度も書き直して割りつけて、印刷所に電算写植で組んでもらう。私も担当になりたてでしたので、悪戦苦闘の編集部屋に中路先生が訪ねてきて励ましてくれたり、いろいろとアイデアを出していただいたのは有難かったです。
名倉 その時代は、携帯はおろかパソコンが十分に普及している時代でもない。
浜松 今は便利になった分、他の業務との兼業をしながらの編集になります。校正日に印刷会社で事務局二人が終日詰めて作業をしていた頃とは、隔世の感があります。外出先でもスマホでPDFの校正紙を見ることもできますのでね。
中路 2000号の少し前に、新聞の座談会でパソコンのことを何もわからないのに司会をして、eメール? インターネット?
という時代でした。
内田 今は保険医新聞をある程度遡ってホームページで読めるようなっています。連載をまとめて読むのもいいでしょう。紙での保存も大事ですが、過去のものをデータ化してアーカイブ化することも考えてはどうでしょう。

協会活動にそった紙面づくり

渡邉 協会活動にそった紙面づくりということでは、この20年は新自由主義に基づく「構造改革」に対峙し、対抗構想としての「社会保障基本法」キャンペーンを柱にしつつ、さまざまな問題を取り上げてきました。医療費不正請求問題でのマスコミ対策やレセプトオンライン請求義務化問題でのキャンペーン。近年では、医の倫理問題や保団連医療研フォーラムに向けた特集がありました。
浜松 「構造改革」の何が問題かについては、当時何度も論稿などを掲載して周知に努めました。当時担当した事務局・横山が印象深いことであげていたのが、連載「『構造改革』後に訪れる日本の将来」でいろんな識者の原稿を載せたものが、今その通りになっていると実感しているというのです。
吉村 それは、要約をしてその先生に今のコメントを求めてもおもしろいのではないでしょうか。
浜垣 今後については、日本の皆保険制度がどうなっていくのか、不安に思います。TPPは幸い頓挫したけれど、経済のグローバル化の流れは止めることは難しいので、どこを守っていくか考えざるを得ない。保険業界に民間がどんどん参入していくためには皆保険が参入障壁だと言われていて、崩されていく恐れがこの数年ありえるので、保険医協会、保険医新聞が果たすべき役割が大きいのではないかと期待しています。

多彩な特集

渡邉 新春・銷夏特集号では、通常号ではできないようなさまざまな特集をやってきました。医療とは直接関係ない方々との対談では、政治家の野中広務さん、タレントの立原啓裕さん、随筆家の岡部伊都子さん、狂言師の茂山千之丞さんにも登場いただきました。近年では、地区の先生方に出演いただく「地域紹介シリーズ」も好評です。
中路 「地域紹介」は、私も「西京」の回に出ましたけれど、地域の知らない歴史や習わしについて教えてくれるからおもしろいですね。関係している人は必ず読みますしね。
渡邉 第1回が「西陣」で、北野天満宮の話と地区の話をきこうということで始まりました。これは全地区でやろうとなって、毎回地区の特色が出ていますし、多くの先生方に出ていただけるのもいいですね。
内田 いろんな特集をやってきましたが、いまだに良かったよといっていただけるのが、浜垣先生の「日本精神医療の源流を訪ねて」(06年銷夏号)です。
浜垣 恐縮です。京都は精神科にとっては一つのメッカで、岩倉が日本の精神医療の源流の一つ。ちょうど銷夏号ですので、緑のきれいな時期に編集部で取材に行こうとなって、個人的にも思い出に残る企画でした。江戸時代に岩倉で滝療法があって簡易宿泊所がいくつかできていて、一種のコロニーの治療共同体がだんだんと発展。明治維新後に今の精神科病院の元になった歴史があります。
名倉 岩倉は村上春樹の小説にでてきますよね。
浜垣 『ノルウェイの森』は岩倉の治療施設が一つの舞台になっています。日本で初めて公立の精神科病院(公立癲狂院)ができたのも京都でした。南禅寺の「方丈」という建物は、今は立派な文化財になっていますが、明治維新から間もない頃に、廃仏毀釈に乗じて府がこの建物を南禅寺から接収し、ここで精神科の患者を療養させたらしいのです。取材を申し込んだところ、触れたくない歴史なのか断られてしまいました。南禅寺の近くの永観堂も、一部が精神科の療養施設として使われていたという記録があり、当時は仏教寺院が慈善的に障害者福祉に関わるということが結構あったようです。
名倉 そういう意味では、京都は古いものが形を変えながら残っています。
浜垣 医療関連の碑がいろいろと残っていたりしますものね。また訪ねてみるのもおもしろいかもしれません。
二橋 新春・銷夏特集号については最近、多くの投稿をいただくようになりました。紙面上の呼びかけだけでなく、会員の中から一定抽出して投稿依頼を送ると、それならばと送っていただけるのでしょう。
中路 隠れた書き手は多いと思いますので、ぜひこれからも続けて下さい。
名倉 新春・銷夏の特集号には、プロのような写真や絵が載っていますが、医師でありながら文学や芸術に優れている人もいてすごいなと思います。
辻 新春・銷夏の特集号には、多くの会員に直接投稿依頼していますが、1割くらいの方が応じています。ありふれた内容でもいいので多くの投稿があるほうが面白い。数が多くなれば紙面も増やせるようですし、基本的にはすべての作品が掲載されるので楽しみですね。

これからの
紙面づくり

渡邉 最後にこれからの紙面づくりについてひと言ずつお願いします。
中路 新聞が送られてくるとき、トップ記事だけが見えるようになっていますので、そこで目立つように、興味ある記事なり写真なり視覚に訴えることも必要かと思います。
名倉 印象が大事ですので、1面をどう見せるかが大事。「主張」が今は1面に載ってるけど、個人名がないので、あまり目を引くものではないんだよね。
吉村 誰が書いたかで、身近に感じることはあると思います。それと極端かもしれませんが、1面は興味をひくものなら何でもいい。例えば投稿ばかりを載せたりすると、知っている人なら読んでみようかとなります。
辻 写真週刊誌のように写真があれば、何かいなと読む気になります。文字ばかりではなかなか見る気になれない。長い文章にはサマリーをつけて、忙しい人でも内容がわかるようにすればよいと思います。また、多くの人を巻き込んでいくために、思いきって紙面の半分程度を会員投稿にしてはどうでしょうか。
吉村 政策解説などは、今でこそ理事会で話をきいているから理解できますが、知らない人はピンとこないと思います。だから、見出し、小見出しだけで内容がわかればありがたい。
辻 こんなん真剣に読んでいるのは我々だけ(笑)。
中路 それはどこの会報でも同じことでしょう。
内田 最も読んでいるのは行政関係や議員の方ではないかと言われています。
二橋 行政関係の方からは府や市の動き、地区懇談会のようすなどを読んでいると直接お聞きしました。
浜垣 新聞という媒体そのものが苦戦している時代ですので、10、20年後に紙媒体がどうなっているか。30、40代の方は新聞を隅から隅まで読む習慣はないけれど、紙の新聞がなくなるべきだとは思わない。紙媒体とともにネット経由でも親しめるようなものが必要になる。手にとってもらえるようないろんな試みが必要となるでしょう。
渡邉 紙の新聞とネットの情報がつながるのなら、新聞の方は大きな見出しと簡単な説明だけで、しっかり伝えたいことは電子媒体の方で読んでもらう。そうすればあり方も変わってくるのかなと感じました。新聞という枠組みを超えた自由な発想のもとでのご意見でしたが、これを参考に新しい保険医新聞をつくっていけたらと思います。ありがとうございました。
◇   ◇
注)月の最終刊は、タブロイドの新聞型式以外の「資料版」「協会だより」(~99年6月)、「メディペーパー京都」(99年7月~14年5月)、「グリーンペーパー」(96年9月~)を発行。17年6月からはグリーンペーパーを25日号の付録とするため、月2回の発行となる。

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