文化企画 初冬の紫野散策楽しむ  PDF

協会は12月4日、「紫野界隈の史跡を巡る」と題した文化ハイキングを開催した。参加者は14人。ハイキング終盤に少し雨に降られたが、気持ちのよい散策となった。以下、参加記を掲載する。

にわか歴史研究会で史跡めぐり
宇都宮久清(下京西部)

今回は、紫野周辺の散策で、船岡山、雲林院、大徳寺と回ります。朝10時に船岡山バス停に集合。案内役の京都総合観光案内所、副所長の脇野博昭さんを含めて14人、全員無遅刻。早速、脇野さんの話を聞きながら、バス停裏手の船岡山に登ります。説明があるのとないのでは、全く別の行事になります。今回は説明があったので、京都歴史研究会になりました。
船岡山は、近くに民家が迫ってはいますが、鬱蒼とした森になっていまして、帰化生物が極めて少ない、独特の森だそうです。平安京を定めた時に、風水でこの地が選ばれて、ここから南に朱雀大路が造られました。また、五山の送り火がよく見える場所で、当日は大混乱になるそうです。
船岡山中腹にある、建勲神社は正式には〈タケイサオ神社〉。日本が侵略されなかったのは、織田信長が全国統一したことが大きいとして、明治天皇が信長を祀るために建てられました。次は、船岡山を下りて雲林院を目指します。すぐでした。その次の大徳寺も、目と鼻の先です。
雲林院は紫式部に大変縁の深い寺です。当時の雲林院の塔頭の真珠庵(現在は大徳寺の塔頭)に、〈紫式部産湯の井戸〉があります。この辺りで生まれ育ったそうです。住居は御所東の廬山寺辺りとされてますが、晩年はまた、雲林院辺りで過ごしたと言われています。お墓は、堀川北大路下ル西入ルにあります。
大徳寺はまず、瑞峯院。石庭は、儚げで、冷たくて、得体が知れません。本堂の周りに三つの庭があります。正面の独坐庭は、大変に評判が良い庭だそうです。龍安寺に匹敵するらしい。確かに勢いが良く、すっきりしています。しかし、昔、生け花を見て、全く理解できなかった時と同じような不安感の方が大きい。
泉仙大慈院店で昼食。その後、前評判の高い、高桐院。確かに雰囲気、佇まいは、他とは違います。ネットでは〈声をつまらせ、心に深い感銘を与える絶景〉と、最大の賛辞がありました。ここの正面の庭は、石庭でなく枯山水。普通の石庭の広さの、5倍はありそうな広大な苔庭で、後ろの方に紅葉の木があります。後ろの中央に小さな石灯籠。私はこの庭が一番気に入りました。温かく、親しげで、安心できる庭でした。石庭は難しい。
大徳寺最後の大仙院。玄関に入ると、魚市場のダミ声のような大声の解説が聞こえました。外人の石庭への印象を教えてもらおうと、解説のおばさんに声を掛けたら、質問には答えずに、本を売りつけられました。庭は四方に四つありました。ゴチャゴチャして、何が美しいのか判らない。次の、今宮神社で解散。全員無事。解説の脇野さん、協会の担当者の皆さん、ご苦労さんでした。

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