「障害受容ができていない」という言葉は、医療・介護の臨床現場では日常的によく使われている。特に私は生活期のリハビリテーションを担当しているので、要介護者が通所リハビリテーションを利用するにあたって、まず始めに状態を確認する。そこで「障害受容ができている、いない」が、しばしば議論になると言ってもいいくらいである。
典型例でいうと、脳卒中後遺症として左半身麻痺になった人にみられる“左半側空間無視”(右脳損傷の40%に出現するといわれる)であるが、身体の左側が認識できないという危険な病態である。患者さんは、自分の前に並べられたお料理を、右側半分はきれいに食べても左半分はまるで手を付けない。左側にもお料理が出されていることが認識できないのである。あるいは、病棟回診の際、「先生は何人いますか」と教授が尋ねると、自分の前に並んだ研修医を右半分しか数えない。ちょうど左右均等に10人いたとして「5人です」と答える。彼らに左側はないのである。歩いていても左足、左手、左肩でよくぶつかる。左にある障害物をよけられない。左側にとんできた物も避けられない。怖いことである。
通所リハビリテーションでは集団で活動することが多いので、事故を防ぐためにも全てのスタッフがこの病態と利用者の実像を理解できていることが必要だ。もちろん、本人の正しい認識が何より大事なのは言うまでもない。しかし実態は、患者自身が自己の危険な病態を理解できているかどうか。そのくらいの意味で「障害受容ができていない」という言葉が使われている気がする。
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障害の受容の定義(上田敏、1980年『総合リハビリテーション』「障害の受容―その本質と諸段階について」)
「障害の受容とはあきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり、障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活感覚に転ずることである」
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障害の受容なんて、そんなに簡単にできるものではない。
上田氏は障害受容の5段階説を提起された。第1段階がショック期、第2段階が否認期(「怒り・うらみ」と「悲嘆・抑うつ」)、第3段階が混乱期、第4段階が解決への努力期、第5段階が受容期、とリハビリテーションを受ける患者さんの障害受容に至る複雑な心理状態をよく理解することが適切な支援の基本だと述べられている。 当事者である私の場合はどうか。第1~3段階を経てやっと落ち着いていろんなことを考えられるようになってきた。すでに2年半近くが過ぎている。先頃、関西の大学が発表した新しい調査によると、「脳卒中患者の60%がうつ」だという。障害受容からは程遠い現実である。
日本は、がんになる人が2人に1人、数年先には7人に1人が認知症に、10人に1人が心房細動に、など人生百年時代と喧伝されるわりには恐ろしい予測に満ちている。要医療・要介護者が新しい価値観を創造し、安心して楽しく生活できるような社会をみんなで造っていこう。
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