政策解説 今後を見据えた保健所体制整備に必要な視座とは何か  PDF

 新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中、保健所があらためて脚光を浴びた。保健所は感染症のみならず、食品安全、飲料水安全、生活環境安全等、健康危機へ対応する唯一無二の公的機関として、第一線に立ち、新型コロナウイルス感染症対応に取り組んでいる。あらためてその存在意義を広く知らしめるとともに、これまでの保健所に対する国の「改革」が果たして正当・妥当であったのか、その検証も促す契機にもなっている。

強権から人権保障へ

 保健所は1874年の医制に端を発する。明治維新後にコレラが大流行し、その制圧が国家的課題となった。いまだ保健所はなく、「健康ヲ看護シテ生命ヲ保全セシムル事」の一環に位置付けられた警察行政が伝染病予防に従事した。有効な治療法もなく、感染した大半の人が生命を落とす現実を前に、国が設置した隔離収容施設(避病院)への警察権力による強制隔離、患者の発生した家屋への病名票貼付、家屋前の交通の制止、密告の励行といった強権策に対する民衆の怒りが爆発し、後にコレラ一揆と称される運動を招来させたのは余りに有名であるⅰ。以降、衛生行政は紆余曲折を経ながら1937年の旧保健所法制定による保健所創設へ結実するが、伝染病予防が警察の手から離れるのは戦後を待つこととなる。
 旧保健所法の下で設置された保健所は結核撲滅や母子保健を任務としつつも、時を同じくした日中戦争開戦、戦時体制の本格化によって健康な兵力の確保のための衛生行政を担う機関との性格が濃厚となった。
 保健所が人々の生命・健康を守るための衛生行政の第一線機関へと位置付けられたのは敗戦後、1947年にGHQが「保健所機能の拡充強化に関する件」を発出し、新たな保健所法が制定された時である。この背景には言うまでもなく、今日の日本国憲法の制定があり、第25条で謳われる生存権保障としての公衆衛生観が基礎となっている。この期においてようやく衛生警察行政が保健所業務に移管・統合され、人権思想の発展、医師・保健師ら専門スタッフによる献身的な活躍によって保健所の役割は深化を遂げる。当時、保健所は人口10万につき1カ所が必置とされ、所長は医師であることが厳格に求められ、保健師ら専門スタッフは地域を担当し、積極的にアウトリーチし、新生児から高齢者までの健康課題に立ち向かった。同時に、感染症・食中毒をはじめとした衛生政策を住民とともに推進したのである。

新自由主義改革としての保健所解体・縮小

 しかしそのような枠組みが1990年代になると大きく揺らいだ。直接には法改正(1994年:保健所法から地域保健法への改正)が引鉄であるⅱ。保健所設置の基準は人口10万人に1カ所から二次医療圏に1カ所へ変更され、保健所数は激減する。92年には852カ所あった保健所が97年には706カ所、2020年度現在では469カ所となっているⅲ。保健所数減少の政策を正当化するために用いられるのは、同時に法改正で設置が定められた(任意)市町村保健センターとの役割分担である。保健センターは住民に身近な健康問題の窓口となり、保健所は問題解決に必要な専門的・技術的サービスを提供する機関となるⅳ、というものだが、そもそも保健センターと保健所は同じものではない。今回のコロナ禍に照らしていえば、例えばPCR等の行政検査や感染症動向の把握、対応を保健センターは直接に担当する組織とはされていないのである。同改正の趣旨について1993年の厚生白書は次のように書いている。「地域保健対策は、具体的には、老人保健対策、母子保健対策、精神保健対策、伝染病対策、環境衛生対策、食品衛生対策、健康づくり、医療監視など、多岐にわたっている。これらの対策は、従来、保健所を中心として、主として社会防衛的な観点から実施されてきたが、最近の急激な人口の高齢化、慢性疾患を中心とした疾病構造の変化、地球環境などの生活環境問題に対する意識の高まりなど、地域保健対策をめぐる状況は大きく変化している…(後略)ⅴ」 。今から読み返すと、感染症対策を主軸とした政策から慢性疾患(生活習慣病)を主軸とした政策への転換が宣言された文章とも受け取れよう。それ自体甘い認識だった、といっても後の祭りである。
 さらに地域保健法はそれとしての意義を持つものと評価すべき点もあろう。しかし一方で保健所法から同法への移行は、多分に新自由主義改革の発想が反映されたものであることを見落としてはならない。地域保健法成立後の1996年、橋本龍太郎政権が発足すると、日本は史上初めての新自由主義改革=構造改革政治の時代に突入した。国の果たす役割を究極まで絞り込み、地方へ譲り渡していく「小さな政府」論をバックボーンとした第一次地方分権改革が日本を覆う中、国が保健所の「必置規制」と「保健所長の医師資格要件」の廃止を事実上、打ち出した。結果、必置規制は守られたが保健所長の医師資格要件には「適切な医師が確保できない場合」に限って、ではあるが風穴が開けられたのである。
 なお、京都市がかつて全行政区にあった保健所の1カ所への統合や人員削減によって、PCR検査が進まないこと、過労死ラインを遥かに超える月200時間超の残業を強いられた職員が生み出されたのではと指摘する報道があったⅵ。政令指定都市における保健所廃止も元を辿れば地域保健法制定が契機であり、最高時124カ所(1994年)あった指定都市の保健所は2020年現在26カ所である。京都市の保健所集約化は2010年なので、比較的後年まで行政区保健所を存続させたといえる。しかし結局はその流れに便乗して廃止したことに違いはなく、その結果は報道のとおりである。

人権保障としての公衆衛生施策の抜本拡充を

 さて、全国で取り上げられる保健所の危機に対し、厚生労働省もこれを放置できなかったのであろう。同省の「新型コロナウイルス感染症対策推進本部」は6月19日、「今後を見据えた保健所の即応体制の整備について」を都道府県・保健所設置市・特別区宛に発出した。通知には「指針」が付され、「即応体制の整備」の取組状況を厚労省に報告させるフォーマットまで添えられている。
 通知は、各保健所が今後の新型コロナに対する「即応体制」を構築できるよう、「最大需要」(陽性者数・検査実施件数・相談件数)を国の示す方法に基づき算定し、それに対応し得る人員体制を設定させる、というのが主な内容である。だが肝心の人員確保について、通知にはいかなる手当も示されていない。書かれているのは、「限りある技術系職員」でなくとも「代替可能な業務」については、「本庁の事務系職員等を派遣」「関係機関・団体等からの応援派遣」「OB職員の復職」で対応すること。また研修医については「地域医療研修の代替として」動員することを示唆している。そして、「どの業務」を「どの地域の医師会などの団体や民間事業者等に」、「どのような条件で外部委託するのか」について、「具体的な事前の整理」を示している。予想される人員確保についての具体策として国が示しているのは、それらに尽きている。
 そこには、これまで一貫して保健所数を減少させ、体制を縮小させてきた自らの政策に対する真摯な反省は皆無である。
 ちなみに「外部委託」はすでに相当程度進んでいる。
 例えば京都市は帰国者・接触者相談センターを3月9日から「日本トータルテレマーケティング株式会社」に委託している。同社は東京に本社があり、コールセンターは熊本である。正体不明の新たな感染症に対峙させられている住民の恐怖、不安を受け止めるのは保健所の重要な任務である。そしてその任務を果たしうるのは、地域に密着し、医師をリーダーに専門職をはじめとした公務労働者によるチームでなければならない。
 公衆衛生施策は人権保障としてとらえ、拡充を検討する必要がある。そもそも感染症対策は「隔離」や「休業」という人権上の制約を事実上もたらし得る業務であり、その反面、行政の介入によって個人と地域の生命・健康を両立して守る仕事である。だからこそ、公的な役割を負う労働者の手で、徹頭徹尾、行われなければならない。

ⅰ 論文「近代日本における警察的衛生行政と社会的排除に関する研究」中馬充子著、『病気の社会史―文明に探る病因 』(岩波現代文庫)立川昭二著を参照した。
ⅱ 『自治体病院の歴史 住民医療の歩みとこれから』(三輪書店)伊関友伸著を参照した。
ⅲ 全国保健所長会ホームページ「保健所設置数・推移」を参照した(2020年6月29日閲覧)。
ⅳ 『自治体病院の歴史 住民医療の歩みとこれから』(三輪書店)伊関友伸著503ページ。
ⅴ 論文「地域の医療と介護を知るために―わかりやすい医療と介護の制度・政策―第23回 保健所と地域保健法」(「厚生の指標」第65巻第7号・2018年7月所収)48ページ~49ページ
ⅵ 京都新聞朝刊2020年6月9日

【参考】資料:厚生労働省 地域保健・健康増進事業報告
京都府保健統計

京都 保健所医師数

京都 保健所職員総数

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