死んでたまるか 9 ただいま、リハビリ奮戦中 垣田 さち子(西陣)  PDF

和歌山から大阪へ

 毎日のプログラムが定まり、リハビリに特化した日々が始まった。とはいっても大学病院の強さというべきか、小まめに全身状態のチェックが入る。エコーを駆使して鼠径部の血栓が見つかったが、強力な薬剤に変わり、退院時には消失した。リハ中に痛み等を訴えるとドクターたちがとり囲んで診断してくれる。リハ室なのでセラピストも参加し最新情報が交わされ共有される。直ちにペインブロックや鎮痛剤などが処方され、リハの継続が図られる。明るく賑やかである。
 ただ運動するのも面白くないので、できるだけ大きな声を出し回数を数えたりもした。いよいよしんどい時には「とーちゃんのためならエンヤコーラ」と思いつく限りの皆さんの名前を呼び上げ、終いにはこの歌を十八番にされていた二木立先生まで登場し、やけっぱち。市内リハ病院の院長が黙って笑っておられた。後で聞いたところでは、あまりに大声なのでリハビリに来る患者さんの中には、ティッシュを丸めて耳栓をしてこられた方もあった由。言ってくれればいいのに。「耳が聞こえない方なので」と釈明しておられたそうだ。でも「リハ室の名物になって」と言ってくれるスタッフが大好きだった。皆さんに大事にしてもらって嬉しく、夢の中でもリハをして頑張った。「夜中にケラケラ笑うしびっくりした。楽しそうやった。ええ性格やわ」と、付き添う娘に呆れられた。
 リハビリは進むが、まだまだ食事は全介助。ペースト状食ばかりだ。こんな食事では力がでないとぶつぶつ文句を言っていた。今の入院時食事療養費では良質な蛋白質は献立に組めないのであろう。毎回の食事にプロテインのサプリメントがついていた。「ええな。これ高いんやで」と娘は喜ぶが、本当にこんな物で補えるのか? 私ははなはだ懐疑的だ。食事にしろ何にしろ、医療を必要最低ラインにまで落とし込むのではなく、「あるべき論」から充足ラインを導き出すことが大切。食事を前に思いを新たにした。
 和歌山県立医科大学附属病院には9月中頃まで入院する予定だったが、娘の勤務先である関西電力病院の回復期リハビリ病棟が空いたので、そちらでのリハビリを開始すべく1カ月ほどで転院することになった。家族の通院負担が大きかったからだ。和歌山にいる間、夫は週に3日から4日、京都から通っていた。娘も関電病院に勤務しながら梅田から通ってくれていた。いくら交通の便が良くなったとは言え、京都から高速道路を車をとばして2時間半の往復は誰もが心配だった。完全看護であっても家族のサポートは欠かせない。少しでも近い所へ帰るべきと思った。

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