鈍考急考5 デクノボーのほうがましだ 原 昌平 (ジャーナリスト)  PDF

 デクノボーと呼ばれたいと宮沢賢治は手帳に書いた。
 地道に働いて質素に暮らす。みんなの暮らしを気にかけ、困っている人のために力を尽くす。争いを好まず、世間からの評価を求めない。
 農学校の教師を務め、科学技術の知識も豊かだった賢治だが、人の上に立つことが嫌だったのか、自分への戒めを刻んだのか。いずれにせよ、「指導者」から最も遠い存在でありたかったのだろう。
 とはいえ、いろいろな組織や社会は、リーダーなしではうまく回らない。引っ張るタイプから調整型まで様々だが、特にトップの役割として肝心なのは、判断の権限を持ち、責任を負うことにある。
 託された権限はあくまでも、組織や社会のために用いる。しっかり説明する。大きな失敗や不祥事があれば、辞めることで責任を取る。
 偉そうにする、好き勝手な人事をする、気に入らない人間を排除する、地位の継続を画策する、基本ルールを破る、名声を求める、説明せずに逃げる、利権を得る。
 それらは指導者ではなく、権力者のおごりである。そこを勘違いする人間が多いから、強い権力ほど腐敗する。
 トップの資質が最も問われるのは危機管理である。災害、事故、不祥事、経済的困難……。国家レベルなら安全保障もある。
 不確実さを伴う中で情報を集め、基本戦略を立て、状況の変化も見つつ、スピーディーに具体策を実行する。
 新型コロナウイルスへの対応は、まさに危機管理だ。SARS(2003年)、H1N1新型インフルエンザ(2009年)の経験もあり、新興感染症は十分に想定される事態だった。専門家も日本にはそれなりに存在する。
 専門的な指揮が必要なのは、公衆衛生を中心とする医学医療、コミュニケーション、社会経済の3分野である。
 今回のウイルスは潜伏期間が長く、症状の出ていない感染者からも感染する。したがって水際でも国内に入ってからも封じ込めは難しい。
 爆発的な拡大で重症者や死者が急増しないよう、医療が破綻しないよう、なるべく抑え込んで時間稼ぎする。その間に治療法やワクチンを開発するのが基本戦略だろう。
 人が集まる機会を減らすのは意味があるが、学校より高齢者への対策が先のはず。社会活動が縮小すると経済と生活の危機につながるから、財政出動して思い切った施策を講じないといけない。
 専門家を参謀に呼んで助言を得るのは当然で、臨時補佐官にして対策の立案や社会への説明をゆだねてもよい。
 専門家の意見も聞かずに独断で休校要請を決め、その理由や基本戦略の説明もできない。残念ながら安倍首相の対応は、危機管理として失格と言わざるをえない。
 もしウイルスが温度上昇に弱くて終息すれば幸運なこと。そうでなければ五輪は中止するか来年に回せばよい。
 説明モセズ、責任モトラズ、日々ゼイタクニ飲食シ、身内ヤ仲間ヲ優遇シ、口先ダケデウマクイツテイルトイヒ、不祥事ハ逃ゲ、意見ノ違フ者ヲ攻撃スル。サウイフモノニワタシハシドウサレタクナイ。

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