続・記者の視点(51)
文系をあれこれ言う前に
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平
国立大学の教員養成系と人文社会科学系の学部・大学院の組織見直しを下村博文・文部科学相が求めたことに、反発や論議が起きている。
6月8日の文部科学大臣名の通知は、これらの分野について「18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」としている。
国立大学法人評価委員会の議論を経たものだが、文面を見る限り、「文系削減」と受け止められても、あながち誤解とは言えないだろう。
「経済界が求める理工系の人材養成に力を入れろというのか」「政権を批判する文系の学者が気に入らないからでは」といった見方も出ている。日本学術会議の幹事会は、人文社会系の軽視を批判する声明を出した。
文科省は「文系削減という意味ではない」と火消しを図っているが、同省は、国立大学への運営費交付金の配分を握っている。組織改編をしないと交付金を大幅に削られると大学側は警戒している。
時代状況に応じて、教育研究の分野のシフトを考えるべきなのは当然だ。その際、大学教員の縄張り意識やポスト確保意識がネックになるのもその通りだろう。しかし、その点は理工農・医歯薬系も似たようなことではないか。
そもそも人文社会科学系は広大だ。法学、経済学はもちろん、社会学、歴史学、哲学、心理学などもある。外国語や芸術系の分野もある。
最近の流行は地域政策、観光学、国際関係、情報メディア、システム科学などだが、そんなふうに目先の看板を架け替えれば済むのだろうか。
社会・文化の維持発展に文系の学問は必要である。筆者は理学部卒で、人間社会学研究科に在籍中だが、自然科学に比べ、社会科学のほうが遅れていると感じる。たとえばマクロ経済の法則性さえ、ろくにわかっていない。
政府がリーダーシップを取るなら、交付金をバックにした圧力ではなく、説得力のある科学・産業政策、社会政策の方向性を示すべきだろう。
日本はどうやって社会を維持していくのか。ロボットや人工知能なのか、バイオや医薬なのか、ナノテクや材料工学なのか、デザインや知的コンテンツなのか。人口減少や社会保障をどうするのか。
円をだぶつかせて、規制緩和すれば経済が成長するだろうという程度の感覚で、産業政策をろくに立案できていない。そこにこそ研究者の知恵を結集してはどうか。
人材育成では、文理両面の一定の素養が求められる。情報リテラシー、統計学などは多くの分野で重要だ。そして問題発見力、批判力、表現能力などを高めないといけない。高校まで教育への統制を強めながら、大学になって急に自分で考える力を身につけろと言っても難しい。
理系文系を問わず、批判精神と大勢に流されない思考力こそ未来を切り開くのだが、「批判大歓迎」の度量を今の政府に期待するのは無理か。