続・記者の視点(50)
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平
負の歴史を直視してこそ
大阪で6月4〜6日に開かれた日本精神神経学会の学術総会で、「ナチ時代の精神医学」に関する特別講演と40枚のパネル展示が行われた。
ドイツに限定した内容ではあったものの、日本のメジャーな医学会が、負の歴史を扱ったのは異例だ。神奈川県立精神医療センターの岩井一正所長の尽力で実現した。
ナチスドイツが、少なくとも600万人以上のユダヤ人やロマ人らを殺害した民族絶滅政策(ホロコースト)は世界的に知られている。
しかし、それに先行して精神障害者・知的障害者・身体障害者・遺伝病患者らを大量に殺害したことを知る人は、日本ではあまり多くない。
最初は強制断種から始まった。1933年に「遺伝病子孫予防法」が成立した。精神病や知的障害と報告された人々に対し「遺伝健康裁判所」の医師と判事が判決を下した。それに沿って産婦人科医、外科医たちは、40万人以上に断種手術を実行した。
1939年からは「T4作戦」が精神病院などでひそかに進められた。統合失調症、てんかん、知的障害、老年性疾患、進行した神経疾患などの人々が登録された。
鑑定医たちは、労働能力の有無、診断名、5年以上の入院、犯罪歴、人種によって、安楽死の対象とするかどうかを判定した。登録カードに赤字で「+」のマークが書き込まれると、患者たちはガス室や薬物注射などで殺害されていった。家族にはウソの死因が伝えられた。
T4作戦は、カトリック教会の反対などにより2年弱で中止されたが、その後も水面下で殺害は続いた。犠牲者は合わせて約30万人にのぼると推定されている。
T4作戦や残虐な人体実験にかかわった医師たちの一部は、戦後のニュルンベルク裁判などで裁かれたが、追及を免れて医学界で地位を保持した医師は少なくなかった。
西ドイツでナチ医学の検証が始まったのは1980年代。ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)は2010年に犠牲者への追悼式典を開き、謝罪を表明した。
その時に学会会長だったアーヘン大学のフランク・シュナイダー教授は、大阪での特別講演で、謝罪に70年を要したことを悔やむとともに、「第三帝国では『人間の命に価値があるか』が判断基準とされていた」と指摘した。
優生思想に基づく民族衛生学は、不良な子孫の出生防止を掲げた。他の欧米諸国や日本でも影響力を持っていた。そこからもう一段進んで「価値なき生命」「社会のお荷物的存在」の抹殺まで実行したのがナチスだった。
その思想に「科学性」を与えたのは生物学者・医学者であり、医師たちの多くは積極的に実行に加わった。差別意識だけではなく、使命感、探求心があったのだろう。
シュナイダー教授は言及しなかったが、日本の医学界にも検証すべき歴史は多い。
現代を生きる人間に、過去の人々がやった行為に対する直接の責任はないけれど、過去の事実を知り、教訓にして倫理を確立していく責任はある。そういう態度をはっきり示すことが、信頼を高める。