見つめ直そうwork Health(8)
隠された歴史
吉中 丈志(中京西部)
二硫化炭素中毒症の研究に人体実験という暗い歴史があることはほとんど知られていない。急性期、亜急性期に中枢神経系の症状が目立つことは戦前から知られていた。症状が統合失調などの精神科疾患と重なる部分も少なくなく両者の関連が注目されていたのだが、これを確かめるために精神科の患者に二硫化炭素を投与して症状の経過と血中濃度の推移などを調べる人体実験が行われていたのである。
1983年に毎日、日経(同年6月23日)、朝日(同年6月24日)の各紙が大きく報道して明らかになった。「徳島大で人体実験−精神科80人にCS2注射」(毎日1面)という見出しである。昭和20年代末から同30年代にかけて、徳島大学医学部精神神経科が鳴門市内の民間の精神病院で行ったものである。
「昭和22、23年ごろ徳島市内のレーヨン工場(日清紡、東亜合成化学、東邦レーヨン:筆者)で精神病患者が多発、(同精神神経科の)元教授はレーヨン製造過程で出るCS2が原因ではないかと考えたが、工場側は『CS2は20ppm以下なので精神病の原因ではない』と主張した。このため、元教授は原因をはっきりさせたい、として精神病患者にCS2を注射する人体実験を計画」(毎日)したという経緯だ。
助手2人が精神病院の院長に趣旨を説明して実施している。
内容はこうだ。「対象者は精神障害の症状が重症から軽度、ほとんど治った者とさまざま。ある助手は81人に純粋のCS2を最高5cc筋肉注射、時間刻みで頻繁に採血。別の助手も34人に対して純粋、またはオリーブ油に50%溶かしたCS2を最高5cc、8回注射。同じように血中、尿中のCS2濃度を測定した。いずれもCS2の急性、亜急性中毒、つまり実験的に精神病を起こさせた」。(日経)ほとんどの患者が頭痛、食思不振、不眠、吐き気、顔面蒼白などを訴えたと記録されている。CS2により精神症状の悪化、再燃が観察でき、注射量に比例すると考察している(四国医学雑誌第五巻46号など)。患者には人体実験であることや注射の中身について説明をしなかったという。
二人の助手はこの実験をもとにした論文で博士号を取得し、当時それぞれ公立病院ならびに民間病院の院長職にあった(朝日)。
事態を重く見た文部省は徳島大学に事実関係の報告を求め、医学部は調査委員会を設置している。当時の関係者は弁解の余地はないと事実を認めたと報じられた。元教授は「今、思えば人体実験は悪いことだと反省している。しかし、そのときは原因究明のためにやったことで、またコソコソやったわけでもない。旧満州の731部隊は戦争遂行のために行った」と毎日新聞に述べている。
こんな歴史があるため、私が診た患者から「自分たちも人体実験されたに等しい」という声が期せずして起きたのであった。