私のすすめるBOOK 『医師たちのヒロシマ復刻増補』を読む
核との決別は人類に課せられた決断
『医師たちのヒロシマ復刻増補』
核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会編/つむぎ出版刊
定価2,160円(税込)
1945年8月6日広島、9日長崎に原爆投下、1954年3月ビキニで水爆実験、2011年3月11日の福島原発事故、そして…。いったい何時になったら、日本は、世界は、この放射能禍から逃れることができるようになるのだろうか。
本書を現役の医師の方々にぜひ読んでほしい。そして被爆直後の患者の様子に直かに触れた研究調査班の医師たちに思いを馳せてほしい。激しい下痢、脾臓の縮小、骨髄の変性、顆粒白血球の消滅、生殖腺の萎縮。続いて、倦怠感、食欲低下、吐き気、出血性下痢、高熱、鼻血、咽喉・歯茎の浮腫、脱毛、熱傷の潰瘍化、汎血球減少症など、悲惨極まりない放射能障害、そして死亡。なす術がない。
第一部は表題ともなったノンフィクション「医師たちのヒロシマ」で、その山場の一つが京大調査班を襲った9月17日の枕崎台風である。発生した山津波によって病院が押し流され、医学部関係者8人、理学部2人、化学研究所1人、計11人が犠牲となった。遭難記念碑が廿日市市宮浜温泉の原田広場に建つ。
以降、証言集で、第二部は広島・長崎の原爆投下当時の模様、第三部は感想、第四部は京都の医師たちによる核兵器廃絶の訴え、となっている。
第二部で、伴敏彦氏が、当時父君の書いた死亡診断書についての記事が目についた。原爆投下直後の死亡原因として多くが「戦災焼死」と記載されていたが、8月15日以降では「戦災ガス中毒」が多くなり、9月に入るとそれが「戦災ラ線傷害」ついで「原子爆弾症」となった。ラ線とはラジウム線のことである。
第四部に足立明氏「追悼 岸田綱太郎先生」があるが、インターフェロン研究者として私も岸田先生とは親しくさせていただいた。懐かしい限りであった。
来年2015年はヒロシマ・ナガサキから70年。いまだに人類は核兵器から逃れることができない。おまけに時限爆弾の原発まで抱えて生きている。これを何時まで続けるつもりか。そろそろ決着をつけなければならない時期にきている。
(京都工芸繊維大学名誉教授 宗川吉汪)