親子の思い出 カエルの心臓  PDF

親子の思い出 カエルの心臓

 
渡邉賢治(西陣)
 
 高校生の娘が「カエルの解剖をして、生理食塩水のなかで動いている心臓がみたい」と言ったことがある。
 この話がでたきっかけは、私が小学生の頃、今から45年ほど前に友達と一緒に学校の近くの田んぼでバケツ一杯のカエルをつかまえた。捕まえたのはいいが誰も持って帰る友達がいなかったので、私がそれを全て持って帰ることになってしまった。その中の一匹が解剖の犠牲になった。おそらくこの時が生まれて初めてのカエルの解剖だったと思う。家にいた父が解剖をしてくれた。カエルの足の筋肉を神経ごと取り出して、神経をピンセットでつまむと足がぴくぴく動く。衝撃的な体験だったので今でも憶えている。
 なかでも一番の衝撃は、カエルの心臓だった。「今からカエルの心臓を取り出すから、塩と水を持っておいで」と父が言った。何をするのか、なぜ塩と水が必要なのかその時はまったくわからなかった。今から思えば塩と水で生理食塩水をつくることだった。
 透明な容器のなかに水を入れ、そこに塩を入れる。カエルから取り出した心臓をその容器の中に入れると、しばらくの間カエルの心臓は容器の中で動き続けていた。小さな心臓が容器の中で動き続ける。今でもその光景を思い出す。
 解剖のあと、庭に埋めてカエルのお墓を作った。
 カエルの解剖はこの時と、大学の生物の授業での2回だけだ。
 この話を生前の父から娘がきいたのか? それとも私が何かのときにいったのか? 定かではないが、このことを思い出しての娘の一言だった。
 科学・生命に対しての興味、探究心、それとは裏腹にカエルの命を奪ってしまうこと。この二つのことを子どもたちにどう伝えていくのか。難しい問題だと思う。この問題が解決しなければカエルの解剖はないかなと思う。もう一つ、カエルの解剖、私は外科医だが、ちょっと苦手だ。

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