医療訴訟の傾向について思うこと(8)  PDF

 医療訴訟の傾向について思うこと(8) 

莇 立明(弁護士)
 
組織医療と結果責任について
 
 現代における病院の医療は基本的には、同一施設に所属する幾つかの専門分野にまたがる医療従事者で構成された診療体制で行われている。夫々専門性のある各科の医師や看護師、検査技師などが連携を保って共助することによって、個々の患者に対する総体としての適切な医療の供給が見込まれているといえる。これが案件により主治医体制を採り、関係する複数の医療従事者が連携した医療を進める場合にはチーム医療と呼ばれる。
 もし、このようなチ−ム医療のどこかでミスが生じて患者に悪しき結果が発生した時は、そのミスに直接関わった個々の医療従事者の注意義務違反の有無が問議されることとなる。そこでその個別ミスの有無がはっきりすればいいが、しない場合には当該チーム全体の連携医療のどこかにミスがなかった否かをチエックすることになる。
 1983(昭和58年)5月20日横浜地裁判決は、病室内での妊婦の突然の分娩により、娩出した新生児に対する措置が遅れて重度の脳性麻痺が生じた事例で、立ち会った当直医の医師や准看護師の過失は認められないが、病院として見て妊婦に対してとるべき行動としては、手落ちがあった、患者に対する組織医療としての看視態勢に不備があったと認めざるを得ないとして病院の医療施設自体の不法行為責任(民法709条)を認定した。個々の医師や看護師でなく、施設自体の不法行為責任を問うた珍しい判例であった。
 2013年3月28日京都地裁判決でも、病院の夜間における外科手術後の患者に対する呼吸状態の看視態勢に手落ち、不備があったとして、当番看護師の個別的な過失をストレ−トに問うことなく、病院の組織医療としての看視態勢に不備(法人組織としての過失)があった、それで患者が死亡したと認定して病院自体の不法行為責任を認めた。
 医療訴訟における損害賠償裁判は医師らの個人責任主義が建前である。病院が責任を取らされるのは、医師らの使用者としての使用者責任である(民法715条)。この使用者責任は、あくまで医師らの個別過失責任の有無が前提である。医師らに過失責任があってはじめて病院の使用者責任の有無が問議される。その結果、病院に個々の医師らについての「選任、監督上の手落ち」がなければ、病院は免責されるのである。そもそも医師らに過失責任がなければ、病院の使用者責任も当然ないのである。
 しかるにこの判決は、病院の「使用者責任」の有無に一言も触れないで、いきなり「組織医療」という、医学的にも法律的にも熟していない社会的な言葉を持ち込んで、病院自体を「組織体」としての法的違法行為者と見做し、その直接的責任を問うたのである。
 このような裁判は極めて大胆な法的整合性を欠くものである。それだけに医師ら個人の行為を特定しないで、法人としての病院が組織的に採るべき行動を問題とした点、疑問が大きいのである。かかる場合の病院の過失行為、手落ちとは何か。具体的に把握しにくい。規範的意味を特定できない。裁判官の裁量による認定の幅が大き過ぎる。これでは、事案の結果だけを見ての結果責任を医療機関に問うただけではないか。裁判の法的安定性を欠く惧れが大きい。医療機関における具体的な「医療安全対策」も予測困難で、総花的なものとならざるを得ない。裁判に対する予測困難性を増すだけであろう。

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