事故調のいう「予期せぬ?死亡」に備えて(10)
救えなかった上顎癌患者
(60歳代前半男性)
〈事故の概要と経過〉
左上顎扁平上皮癌で入院。左上顎腫瘍摘出術を施行したが、術後に遊離腹直筋皮弁が壊死した為、壊死組織の除去術を施行して、頬骨弓部の被覆術を行った。生検の結果、腫瘍の残存が確認されたので放射線照射と科学療法を併用しながら、ネクロトミー(清掃)を施行した。かなりの苦痛を伴う処置なので、週に1回局所麻酔下で手術室にてネクトロミーを施行した。その後、人工呼吸器の使用開始により集中的処置が可能となったため、同日壊死組織および感染骨の多くを除去したが、その際に動脈損傷による多量出血を来し出血性ショックとなった。
数日後に血管を中枢側で結紮することを目的に、全身麻酔下に手術を施行したが、出血部位はすでに止血していたため、そのまま終了となった。MRIで舌根部癌が疑われ、CTで左肺野に陰影を認め肺転移が疑われ、余命は数カ月から1〜2年と家族に説明した。その後、患者は死亡退院。
遺族の主張は以下の通り。㈰手術承諾書をはじめ、カルテに多数改竄の痕跡が認められる㈪誤投薬があった㈫インフォームド・コンセントが成立していないのに手術や処置を勝手に施行された㈬医療機関側に質問書を提出したのに返答がない。
医療機関側としては、今回のケースは不可抗力や合併症を含む医療事故と認識するが、行った治療は医療水準を満たしており医療過誤ではないと主張した。
紛争発生から解決まで約1カ年間要した。
〈問題点〉
上顎癌の治療は従来から、手術・化学療法・放射線療法の三者併用療法が標準的に行われてきた。この方法は顔面の形態と機能をある程度保存するために、手術は姑息的に行われ、残存した腫瘍を化学療法と放射線治療で根治するのを目標としている。この治療法の特徴として、ネクロトミーと呼ばれる局所処置があり、放射線や化学療法で壊死した腫瘍組織を局所から取り除く必要がある。術後の創部から鋭匙や吸引管を使って行うこの処置はかなりの痛みを伴い、疼痛コントロールに様々な試みがなされてきたが、いまだに患者と処置する主治医を悩ませている(「先生が鬼に見える」と言われる)。
事例はT4の進行癌であり、化学療法・放射線療法のみの保存的治療では根治は困難と考えられ、また術前の化学療法が無効であったことから、手術的治療を選択したことに問題はないと考えられる。
手術所見、病理検査結果からは周囲への浸潤著明で、厳しい予後が推察された。
放射線治療とネクロトミーが奏効し、生検上癌は認められなくなったが、主治医は再発の可能性が十分あり得ることを予測し、妻にも説明している。
手術の規模、また術後遊離腹直筋皮弁が壊死したことより、創の上皮化には相当の期間を要し、放射線治療による炎症の惹起も相まって、感染の危険が高かったことは予想できた。主治医は頻回に細菌検査を施行し、感染の有無の検出に勤めMRSAにも素早く対応しているが、不幸にも腎機能障害を起こしARDS、続いて骨髄炎も併発することとなった。その都度主治医から患者側への説明はされており、患者側も納得了承された旨カルテ上記載されている。また他科の医師との協力の下適切な治療がされ救命されている。
人工呼吸管理となった夜に、恐らく少しでも早い治療をとの思いで、主治医は腐骨除去を施行したのであろうが大出血を来たしてしまった。術中に内頚動脈近傍まで腫瘍が及んでいたことを考えると慎重にすべきところではあるが、術後の創は元々のオリエンテーションが付かなくなっており、まして壊死組織や腐骨が存在すると、血管などの重要組織の位置が判別できなくなる。放射線治療により血管壁に浸潤していた癌組織が壊死を起こし、血管壁が脆弱になっていた可能性も十分考えられる。危険性を認識しながら取るべき処置を取らざるを得なかった結果であると考えられる。この時も、出血性ショックに対する対応がされて、救命されている。
その後は舌根への再発、肺転移によりterminal stageとなり、打つ手のない苛立ちを家族が覚えたのも無理のないところである。患者、家族を含めた緩和ケアが望まれるところであったが、現時点では全ての施設で十分な体制が整っているとは言えない。
症状の急激な悪化展開に家族の動揺は激しかったと思われるが、カルテ上の主治医の説明に不審な点はなく、取られた措置についても問題ないと考えられた。
〈解決方法〉
医療機関側が、根気よく遺族に説明をしたところ、納得を得て、解決に至った。