主張/医の倫理とは? 今、あらためて問い直す
「医の倫理とは?」との問いかけに、あなたはどう答えるだろうか? 安楽死や終末期医療、生殖医療やiPS細胞の活用等、医学だけでこれらのことに答えをだせるだろうか? 答えを出すためには法律的、倫理的な判断も必要となってくるだろう。漠然とした問いかけで内容も種々にわたるので、もしかしたら答えはひとつではないかもしれない
政府は今回の診療報酬の改定において、在宅医療の強化を打ち出している。今後、自宅での看取り医療も増えてくることが考えられ、病院の勤務医だけではなく開業医も看取りの現場に立ち会う機会が増えることが予想される。人の尊厳とはなにか、改めて考えることもあるだろう。確実に言えることは医師が正しい医学的知識を持つことは言うまでもないが、正しい倫理観も持たねばならないということだ。
なにが正しい倫理観なのかは時代の変遷と共に多少は変わるのかもしれない。医の倫理については医師の職業倫理について書かれたギリシャ時代から受け継がれる「ヒポクラテスの誓い」を基盤として、ジュネーブ宣言(1968年)、ヘルシンキ宣言(64年)、リスボン宣言(81年)がある。これからの医学の発展や社会貢献のためには医学知識の発展だけではなく法律的、倫理的にも大多数の同意を得ることが不可欠だ。
しかし我々は過去を省みずして、将来の医学の発展、社会貢献を考えることができるだろうか。第二次世界大戦に前後して、日本は中国で人体実験を行った事実がある。また、この731部隊による生体実験など戦時中の医学犯罪が免責され、その一端を担った人たちが戦後の医学界において指導的地位についたことで、反省や検証をすることなく深刻なモラルの低下をきたしたという指摘もある。
一方、日本とは対照的に、ドイツではベルリン医師会において、「過去の克服」が医学・医療の領域でも進められてきた。戦争という特殊な環境下ではあったものの、当時の日本の医学界は、このことをどう捉えていたか? そして現代に生きる我々医師・医学者は70年以上前の事実にどう向き合うべきかを真摯に考え、反省するべきことは反省しなければ将来につながらないだろう。日本医師会は、軍事政権下であったとはいえ「非人道的な人体実験」を行ったこと、そして、その認識・反省が不十分であったことを認めた。つぎは日本医学会が学問的にそれらを検証し公表する番だろう。
協会は、医の倫理について、特に戦争と医の倫理については、将来の医学の発展のために事実の検証が必要不可欠であると述べてきた。そして、2015年の日本医学会総会関西を機に、医学界・医療界が戦争に加担した歴史の検証に基づき、日本の医の倫理の今後のあり方を多面的に深める企画を行う予定だ。この企画をとおして、人種、性別、年齢、思想信条、貧富などによる差別をしない、人権が守られる医療が確立され、その教訓をもってこれからのますますの医学の発展、医学の社会貢献がなされることを強く希望する。我々もこれを機会に、日常行っている医療について、もう一度考えてみてはどうだろうか。