続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)  PDF

続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)<39>

機 屋(はたや)

 猛暑が続く。平成22年7月22日、産業医の仕事で、当地方丹後縮緬製造業者の許へ検診に出向く。父の代からの古い昵懇の家で、京丹後市屈指の織物業者だった。ぼくの代も開業以来、大切にしていただいた。何かの会合のおり、一度だけ拙院まで車で送っていただいた。主人自らの運転だった。その方はおだやかな紳士だった。今はその息子さんがお爺さんで、娘さんが2人、その下に養子さんが取ってある。現在の当主はその養子さんで三十代後半、同じくおだやかなお人柄のようだ。現今当地方の織物業者は大変だと聞いている。検診をしたのは5人で、うち2人が男性、その1人が当主である。古くから知っている当地の農業者の次男が72歳、学校を卒業されてからずっとこの家に勤めていらっしゃる。現在では全くなくなってしまったが、ぼくの開業当初僅かに残っていた、親方子方の関係かもしれない。仕事の段取り、給料、税理、いろいろな雑務一切を引き受けていらっしゃる。人情紙の如し、とはいつの時代でも囁かれる言葉だが、血縁関係をぬきにしたこのような方は、ぼくは知らないと言っても過言ではない。まだお若い養子さんと手に手を取っていらっしゃる。女子職員の3人の1人は70歳を過ぎておられる。若い女性で機織りをしようかと思う人は皆無で、当主の娘さんはこの人が頼りとおっしゃっていた。

 検診は簡単である。一人ひとりのデータを読み、血圧を再確認し、異常値を説明して治療の手引きをする。あとは労働基準監督署の元署長さんが産業医会の理事をしていらっしゃって、職員の一人ひとりに質問をし、先述の72歳の男性に工場内の衛生、保全等の管理事項を質問する。

 仕事は約1時間半で終わり、駐車場になっていた広場で車のドアを開いたら、むっとした暑気が溢れ出た。あらためて猛暑だった。

 今日訪問した工場の外、やはり父が懇意にしていた大きな機屋さんがあった。ぼくが未だ小学校に入学する前、誰かに連れられて12月14日、義士会の行事を見に行った。工員は男女あわせて100人以上と噂されていた。舞台が設けられ、海軍の水平服のような格好をした男性の工員さんたちが歌ったり踊ったりした。今はもうその工場は閉じたままだ。追憶はなつかしいが、現在、旧口大野村で工員さんを雇っている工場は一軒だけだと聞いた。日常、ぼくの周囲でも機音はまったく聞かない。時代の流れは恐ろしい。

 猛暑が続く。熱中症の死者が増えているようだ。

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